なぜファジアーノ岡山は“J1空白県”の歴史を塗り替えることができたのか…「守らせたら天下一品」磨きあげた堅守速攻スタイル
J1昇格プレーオフ(PO)決勝が7日に岡山市のシティライトスタジアムで行われ、J2リーグ5位のファジアーノ岡山が2-0で同6位のベガルタ仙台に快勝し、2009シーズンのJ2参入から16年目で初のJ1昇格を決めた。準決勝でともに上位勢を撃破する下剋上を果たした両者の激突は、前後半に1ゴールずつを奪った岡山が、リーグ戦から続く先制すれば負けない“神話”を「20」に伸ばして悲願を成就させた。3度目のPO挑戦で、なぜ岡山はJ1クラブ空白県の歴史を塗り替えたのか。
「一番真面目なチーム」
悲願を成就させた男たちの姿には見えなかった。
岡山の勝利と、クラブ史上初のJ1昇格決定を告げる主審の笛が鳴り響いた直後。岡山の選手が、ホームのシティライトスタジアムのピッチ上に次々と倒れ込む。精も根も尽き果てた心と体が、歓喜の雄叫びをあげるよりも先に限界に達していた。
後半途中から出場していた、キャプテンのMF竹内涼(33)が胸を張った。
「これまでの試合だけでなく普段の練習でも、僕たちはすべてを出し切るところに強くこだわってきました。その結果として今日もああいう感じになりましたけど、それがなければ絶対に昇格できなかったし、それが僕たちのよさだと思います」
竹内が繰り返した「それ」とは「真面目さ」に、あるいは「泥臭ささ」に置き換えられる。清水エスパルスで2009シーズンにプロのキャリアをスタートさせ、キャプテンを4年間務め、今シーズンから岡山に完全移籍で加入した竹内が続ける。
「プロで16年やっていますけど、間違いなく一番真面目なチームだと思います」
竹内のプロキャリアと、岡山がJ2を戦ってきた時間は一致する。
川崎製鉄水島サッカー部OBが1975年に岡山県倉敷市で結成した、リバー・フリー・キッカーズを中核とするファジアーノ岡山が、同県サッカー協会役員らによって結成されたのは2003年。岡山県の県鳥であり、地域に伝わる桃太郎の鬼退治物語に登場するキジを表すイタリア語から「ファジアーノ」と名づけられた。
中国サッカーリーグを連覇した2007シーズンには、日本フットボールリーグ(JFL)への昇格もゲット。さらに2008シーズンのJFLで4位に食い込み、翌年からのJ2参入も一気に決めた。しかし、J1へ続く壁は高く険しかった。
2桁順位が多かったJ2で当時の最高位となる6位に食い込み、J1昇格プレーオフへ初めて臨んだ2016シーズン。準決勝で3位の松本山雅FCを2-1と撃破する下剋上を果たすも、決勝ではセレッソ大阪に0-1で屈した。
次にJ1への視界が開けたのは、リーグ戦での最高位をさらに更新する3位に躍進した2022シーズン。当時はJ1参入プレーオフの名称で行われた1回戦をホームで開催する権利を得て、なおかつレギュレーションで引き分けでも決勝に進める状況で迎えたモンテディオ山形戦で、岡山は0-3と一敗地にまみれた。