「遅刻もした」「ようわからん戦術が山盛りで出てくる」「指導者に向いてない」引退した元日本代表FW柿谷曜一朗が第二の人生に異例の「サッカー系文化人」を選んだ理由
J2の徳島ヴォルティスでプレーした昨シーズンをもって現役を引退した、元日本代表のFW柿谷曜一朗(35)が23日、古巣セレッソ大阪の本拠地ヨドコウ桜スタジアムで引退会見に臨んだ。契約満了に伴う退団が徳島から発表されたのが昨年11月9日。現役続行を望んだ柿谷のもとには複数のオファーが届いていたが、今年に入って「大好きだったサッカーがしんどくて、難しい」という思いを強く抱き、18日に徳島を通じて引退を電撃発表した。今後はサッカー系文化人として活動する柿谷に何が起こったのか。
引退会見は古巣のセレッソで行われた
最後までやんちゃぶりは健在だった。
昨シーズン限りでスパイクを脱ぐと発表されてから5日。いまも愛してやまない古巣セレッソの本拠地ヨドコウ桜スタジアムで行われた記者会見で、柿谷は「後悔はまったくありません」と電撃引退にいたった理由を初めて明かした。
「僕はサッカーが大好きで、すごく楽しくて、簡単で、これほど僕に合ったスポーツはないと思ってサッカーをずっと続けてきました。でも、いまはしんどくて、難しくて、僕が無我夢中でボールを追いかけていたような状態じゃない。これは35歳になって思ったというよりは、正直、数年前からありました」
人生の一部と化していたサッカーに、それまでとは対極に位置する感情を抱くようになる。会見後に囲み取材にも応じた柿谷は、直近の5年くらいで起こった心境の変化だと振り返ったうえで、募らせてきた違和感をすべて打ち明けている。
「よくも悪くも選手がサッカーをしているというよりは、させられているという言い方はよくないかもしれへんけど、いまは90分間でやることが決まっているようなサッカーになっているんじゃないかなと。そのなかでどれだけ個を出せるか、という部分はわかっているけど、僕としては90分間、やはり放っておいてほしかったので」
16歳でセレッソとプロ契約を結んだ柿谷は、8年目の2013シーズンに得点ランキング3位となる21ゴールをマーク。アルベルト・ザッケローニ監督に率いられる日本代表入りと、翌年のブラジルW杯出場を手繰り寄せた。
ブレークを果たした当時のセレッソを率いていた、ブラジル出身のレヴィー・クルピ監督を「練習メニューがないし、戦術がないし、何もなかったでしょう」と苦笑しながら懐かしんだ柿谷は、さらにこんな言葉を紡いでいる。
「いまはミーティングでも、ようわからん戦術があまりにも山盛りで出てくる。それについていくのがしんどいし、試合のために練習を見直すとか、僕のイメージからすると、そんなのはサッカーちゃうやろうと。サカつくやん、みたいな感じなんですよ。ミーティングなんかどうでもいいから、ボールをまず止めて相手を抜く。それができてからの話や、という感覚で育ったから、サッカーがホンマに難しくなって」
2シーズン所属した徳島から、契約満了に伴う退団が発表されたのが昨年11月9日。J2リーグで出場29試合、プレー時間1414分で無得点に終わった昨シーズンの成績を、柿谷も「チームに何ひとつ貢献できなかったのがすべて。チームに必要な選手じゃなかったと、僕自身も思っています」と素直に受け入れた。