
なぜ大阪マラソンで折り返し地点間違いのミスが起きたのか… ロスがなければ日本新?“初挑戦”日本最高を塗り替えた箱根駅伝激走の青学大・黒田朝日とホープ近藤亮太の可能性
9月に東京で開催される世界陸上の代表選考会を兼ねた大阪マラソンが24日、大阪府庁前発ー大阪城公園着のコースで行われ、イフニリグ・アダン(エチオピア)が2時間5分37秒で優勝し、近藤亮太(25、三菱重工)が2時間5分39秒で日本人トップの2位でゴールし、初マラソンの日本最高記録をマークした。また黒田朝日(20、青学大)も2時間6分5秒の日本学生最高記録をマークして6位に食い込んだが、先頭集団が30キロ過ぎの折り返し地点を間違えて通過するという前代未聞のアクシデントがあった。
主催者が謝罪会見
先頭集団は中間点を1時間02分29秒で通過した。日本記録ペースを上回っていたが、思わぬ〝敵〟が潜んでいた。先頭が30㎞を1時間28分56秒で通過した後の折り返し地点を素通りしてしまったのだ。
1台の白バイとタイム表示の関係車は予定通りに折り返すも、もう1台の白バイと中継カメラが直進。選手たちはこれについていくかたちとなり、折り返し地点を撮るために設置されていたカメラ台の先を折り返すことになった。
16人ほどいた集団から少し遅れた聞谷賢人(トヨタ自動車)が「ここじゃないの?」というジェスチャーを見せたものの、前方にいた選手の多くは間違いに気づくことなくレースを進めた。
主催者でもある大阪陸協の竹内章専務理事は、「30mほど長い距離を走ったのは事実です」と違う場所を折り返したことを認めると、「本来は折り返し地点から先にいけないようにカラーコーンを設置して走路を遮断するはずでしたが、それを怠っておりました」と説明して、謝罪した。
白バイの1台が間違えたのも理由だが、運営側のウッカリミス(カラーコーンの置き忘れ)が大きな原因だったようだ。なお「ルール上、マラソンは長すぎた場合でも42m。総距離の0.1%以内なら公認される」(竹内専務)として記録は公認されることになった。しかし、選手たちは単純計算で5~6秒のタイムロスがあったと考えられる。結果的に日本記録(2時間04分56秒)の更新は難しかったが、好タイムの期待がかかったレースに水を差すかたちになった。
予期せぬトラブルに続き、終盤は吹雪と向かい風が選手たちを苦しめた。そのなかで大健闘を見せたのが初マラソンとなった25歳の近藤と20歳の黒田だ。
33㎞付近でエチオピア勢3人と日本記録保持者の鈴木健吾(富士通)に離されたものの、35㎞付近で再び、先頭集団に加わった。
残り3㎞でアブディサ・トラ(エチオピア)がペースアップすると日本勢はついていけない。しかし、40㎞通過時で7秒差をつけられた近藤がここから上げていく。41㎞付近でトップに立つと、エチオピア勢を引き離した。残り約100mでアダンに再逆転されるも、近藤が日本歴代5位となる2時間05分39秒をマークして日本勢最高の2位に入った。
アダンが2時間05分37秒の大会新Vを飾ったレース。日本勢では細谷恭平(黒崎播磨)が日本歴代7位の2時間05分58秒で4位、初マラソンの黒田が同9位の2時間06分05秒の6位に食い込んだ。
日本人トップになった近藤は2023年2月の全日本実業団ハーフで日本人トップの3位(1時間00分32秒)に入っているが、島原高、順大時代は目立った戦績を残していない。箱根駅伝は4年時に初出場。10区で準優勝のゴールに飛び込んだが、区間順位は14位だった。