なぜ横浜F・マリノスは3季ぶり5度目のJリーグ制覇を果たせたのか…リンクした3つの思い
横浜F・マリノスが3シーズンぶり5度目のJ1制覇を達成した。5日の明治安田生命J1リーグ最終節でヴィッセル神戸と対戦したマリノスは、FW水沼宏太(32)がすべてのゴールに絡む活躍を演じて3-1で快勝。3連覇を狙った川崎フロンターレを勝ち点2ポイント差で振り切り、敵地ノエビアスタジアム神戸で雄叫びを上げた。昨シーズンの2位から頂点へ駆け上がる原動力になった、今シーズンのマリノスに脈打つ「3つの思い」に迫った。
「子どものころから夢見てきたリーグ制覇。考えてもいなかった未来」
気がつけば涙腺が決壊していた。優勝を告げる笛が敵地に鳴り響いた直後。戦況を見守っていた自軍のベンチ前で、水沼はひざまずいた体勢で号泣していた。
トリコロールカラーのタオルで何度ぬぐっても、涙がとめどもなく込みあげてくる。ベンチ入りした18人のなかで最年長となる32歳は、漏らした嗚咽の意味を照れくさそうに明かした。
「子どものころから夢見てきたリーグ制覇を、一度は離れたマリノスで達成できた。考えてもいなかった未来であり、あきらめずにやってきて本当によかったとあらためて感じてしまって。何ともいえない感情が込み上げてきていました」
目の前の神戸に勝てば川崎の結果に関係なく優勝が決まる大一番。前半26分のFWエウベル(30)の先制点も。後半8分のMF西村拓真(26)の勝ち越しゴールも。そして、同28分のFW仲川輝人(30)のダメ押しゴールも、すべて水沼のプレーから生まれていた。
1点目は絶妙のクロスのこぼれ球。2点目は強烈な直接FKのこぼれ球。そして3点目はカウンターから右サイドを深くえぐり、マイナスへ折り返したラストパス。自らの武器をチームのゴールに結びつける仕事を追い求めてきたサイドアタッカーはこのオフ、大きな決断を下していた。
ユニフォームの背番号の下に入れるネームを『KOTA』から『MIZUNUMA』に変えた。前身の日本リーグ時代からマリノスの黎明期まで活躍し、自身がマリノスでサッカーを始めるきっかけにもなった父親の貴史さん(62)への敬意が込められていた。
試合後にはマリノスで最初にプレーした2000年代後半に、自身を特に可愛がってくれた故・松田直樹さんの象徴だった背番号で、マリノスの永久欠番でもる「3」が刻まれたユニフォームを手にしながらファン・サポーターと喜びを分かち合った水沼が万感の思いを込める。
「父はマリノスの歴史を作ってくれた偉大な先輩でもあるので。誇らしいし、一緒に有名になりたいという気持ちでネームも変えて、自分にプレッシャーをかけてプレーしてきた。水沼という名前をマリノスというクラブの歴史のなかにしっかりと残せたと思う」
1995シーズンの途中に引退した貴史さんは、同年のマリノスのJ1初優勝を経験していない。4つのクラブをへて、10年ぶりに古巣へ復帰して3シーズン目。父を超えたいと望む水沼は無意識のうちに、自身の特徴である泥臭さや献身さでマリノスを内側から変えていった。
たとえば神戸戦そのものは、決して守りに入らないマリノスが貪欲に追加点を奪いにいった矢先に終了を迎えた。最後のプレーとなった、ゴール左に外れたシュートを放ったのは右サイドバックの小池龍太(27)。両方の白いリストバンドには、夏場から「17」が記されている。
7月下旬の日本代表戦で右膝前十字靱帯断裂の重症を負い、長期の戦線離脱を余儀なくされたFW宮市亮(29)の背番号だった。小池はこんな言葉を残したことがある。
「常に彼と一緒に戦っています。一緒にタイトルを取る、と」
復帰へ向けて必死にリハビリへ取り組んでいる宮市は、ある試合で小池のリストバンドが写っている写真を偶然目にした。まったく知らされていなかった自分へのエールに驚き、次の瞬間、心を震わされたと神戸戦後に応じた取材で明かしている。
「本当に嬉しかったし、ありがたかった。今シーズンは何だか涙腺が緩むことが多くて」