なぜ絶頂期の福永祐一は騎手の引退と調教師転身を決断したのか?
コントレイルなどで日本ダービーを3勝し、JRA歴代4位の通算2613勝を誇る福永祐一騎手(46)が来年2月末で引退し、調教師に転身することが8日、明らかになった。この日のJRA新規調教師免許試験の合格発表を受け、決意を口にしたもの。今年もGⅠを2勝しており、絶頂期の福永は、なぜ騎手引退を決めたのか。その背景にあったものとは?
「騎手への情熱が薄れたわけではなく、それ以上にやりたい仕事を見つけた」
夢にはまだ続きがあった。騎手として不動の地位を築き、きょう9日に46歳の誕生日を迎える福永のもとに舞い込んだ朗報。今回も133人が受験し、合格者わずか7人という超難関のJRA新規調教師免許試験を一発でクリアした名ジョッキーは、晴れ晴れとした表情で思いを語った。
「調教師になることが決まり、大変うれしく思いますし、いよいよだな、とワクワクしています。いまは望んでいた環境にあり、周りが認めてくれ、何も言うことはない。ただ、それ以上にもっとやりたい仕事を見つけた。騎手への情熱が薄れたわけではなく、今年に入って調教師になりたいという思いがどんどん膨らんだ。1頭の馬に深く関わりたいと思い、馬生を豊かにしたいという思いに駆られたのが一番」
調教師に合格したことで、来年2月末に免許が切れる騎手としての活動はピリオドを打つことになった。
2010年から騎手としてのステータスでもある年間100勝以上をマークし、20年にはキャリアハイの134勝。今年もここまで96勝を挙げ、その中にはカフェファラオによるフェブラリーステークス、ジオグリフによる皐月賞とGⅠ2勝があり、いままさに絶頂期といっていい。そんなトップジョッキーが来年2月末をもってムチを置くことは極めて稀なケースになるが、福永にとっては調教師への転身は必然だった。
「決断した理由はたくさんある。もともと調教師の仕事に興味を持っていましたから」
試験勉強を本格的に開始したのは今年に入ってからだという。
調教師という職業は騎手になったときからの夢だった。
師匠でもあり、17年に亡くなった瀬戸口勉氏とともに福永の駆け出しのころを支えた北橋修二氏(87)が「騎手になった頃から将来は調教師になりたいと言っていた」と話したように、抜かりなく準備していた。その北橋氏は4日、中京でのチャンピオンズカップを観戦。寸前でGⅠ勝利を逃した福永は「勝って口取りをしてもらおうと思ったのに。なかなかうまくいきませんね」と悔しがってもいた。
理論派の騎手として知られ、馬を仕上げることに関心を持ち続けた。矢作芳人、友道康夫、藤原英昭調教師らダービートレーナーと交わる中で競走馬が変化していく過程に興味を覚えた。
例えば毎年、将来性豊かな若駒が集うセレクトセールに足を運んでいたのも、その日に備えてのものだ。矢作調教師からは「調教師に向いている。非常に怖いライバル」と最大級の賛辞を送られている。
「セールには挨拶回りする騎手が多い中、僕は馬を見るのが楽しく、見に行っていた。これまで多くのトップトレーナーの技術を学ばしてもらいましたし、多くのGⅠ馬に乗り、勝つ馬の背中を知っているのは大きな強み。調教師として存分に生かせると思う。それに自身は感覚で乗れるジョッキーではなかったので探究心がベースになっている。言語化して取り組んできたので、人に伝える能力はあると思う」
騎手としてやり遂げたという達成感もある。
JRAのGⅠ34勝。アメリカ、ドバイ、香港でもGⅠを勝った。ダービーを勝てないと言われながら2018年にはワグネリアンで初制覇。この勝利で「福永家の悲願」を達成すると、そこから堰を切ったかのように4年で3勝。20年にはコントレイルとのコンビで、この世界では究極ともいえる無敗の3冠を達成した。