なぜ「1.5倍」に増強した井上尚弥はバトラー1ラウンドKO狙いを否定したのか…「ディフェンスに徹したら1発ももらわない」
プロボクシングのバンタム級世界4団体統一戦(13日・有明アリーナ)の記者会見が10日、横浜市内のホテルで行われ、WBAスーパー、WBC、IBFの3団体統一王者の井上尚弥(29、大橋)と、WBO世界同級王者、ポール・バトラー(34、英国)が初めて顔を合わせ、それぞれ抱負を語った。井上は黒髪で登場。バンタム級最終章ともなるビッグマッチを初心に帰って戦う決意の表れだという。バトラー陣営は9日の公開練習時に「ディフェンスに弱点がある」とコメントしたが、「ディフェンスに徹したら1発ももらわない」とプライドをのぞかせ、大橋秀行会長(57)は、6月に2ラウンドで倒したノニト・ドネア(フィリピン)との再戦時よりも「1.5倍強くなっている」と豪語したが、井上は1ラウンドKO狙いを否定した。明日12日に計量が行われ、いよいよ13日に歴史の扉が開く。
初心に帰る「黒髪」
偉業に挑むモンスターは黒髪で壇上に現れた。
7日の公開スパーでは、柔らかいブラウンに染めていたが、「染めたのではなく元々黒」だそうで「意気込みとして初心に帰る。21歳以来じゃないかな」と、そのメッセージを説明した。ヘアメイクにミリ単位でこだわる“オシャレ男子“で、海外での試合時には専属美容師を同行させるほど。入場ガウンやシューズなどのギアにも細部にまでこだわって、すべてのテンションをアップしていくのが井上の流儀だ。
井上の目の前にはWBAスーパー、WBC、IBFの3本のベルト、バトラーの前にはWBOのベルトと4本のベルトが一同に会した。
「4本のベルトが並ぶのを見るとますますやる気になる。これがバンタム級の最終章。バンタムでナンバーワンであることを示すために必要なベルトだと思う」
バトラーとは初対面。
「非常に調子がよさそう。全体的に優れたボクサー」と印象を語った。
一方のバトラーも井上へのリスペクトを忘れない。
「非常にいい選手だと思う。そのいい選手と戦う。それだけです」
今年4月に対戦予定だった前王者のジョンリエル・カシメロ(フィリピン)が英国ボクシング管理委員会が健康維持のために禁止しているサウナによる減量を行う不手際で試合出場ができなくなり、急遽、代役のジョナス・スルタン(フィリピン)と暫定王座決定戦を戦い判定勝利。その後、正規王者に格上げとなったことで、転がり込んできたベルトの初防衛戦が、いきなり4団体統一戦というビッグチャンスに恵まれた。
「4団体統一を果たせばイングランドでも初。非常に大きな意味合いがある」
バトラーのモチベーションも高い。
井上の公開練習を視察したトレーナー兼マネージャーのジョー・ギャラガー氏は「井上にもスキがある。ディフェンスに弱点がある」と口にした。
バトラー陣営が拠り所にしているのは、2019年11月のWBSS決勝で井上がドネアと対戦した際に2ラウンドに必殺のフックを浴び右目の眼窩てい骨折を負ったシーンだ。ただドネアの左フックは5階級を制した一級品。バトラーとはスピードとパワーが違いすぎて参考にならない。しかも、今年6月のドネアとの再戦では、第1ラウンドの初っ端以外にまったくスキを見せなかった。
それでも井上はプライドをのぞかせた。
「本当にデイフェンスを徹底したら一発もパンチをもらわない自信はある。ボクシングなので倒しにいく時に被弾は少なからずあるが、ディフェンスが得意であることを見せていきたい」
反論でも誇張でもない。その言葉通りなのだ。
井上がディフェンスに徹すれば一発もクリーンヒットは当たらないだろう。同時通訳で、井上のその言葉を聞いたバトラーは、どう思うか?と質問され、「特にコメントすることはない。彼が話している通りなんだろう。弱さを見せたとき、そこを突いていきたと思う」とだけ反応した。
大橋会長も、「弱点ってどこなんだろう。小さいときからずっと尚弥を見てるけどわからない(笑)。それが逆に楽しみ」と不敵に笑う。
9日にバトラーの公開練習を見たときに「映像で見るより、パンチがある。特に左。あまり例のない小刻みなステップを踏む」と、細心の注意が必要だと感じたが、「リング上で逃げることはできても隠れることはできないからね」と“名言“を残した。
バトラーは、3年前にグラスゴーで行われたWBSS準決勝の井上とIBF同級王者、エマヌエル・ロドリゲス(プエルトルコ)の試合を現場で観戦した。井上が、2回に3度ダウンを奪い世界に衝撃を与えたが、バトラーはロドリゲスが2ラウンドに打ち合った戦い方を「失敗」と見ていた。参考にしているのは、7ラウンドまでいったジェイソン・モロニー(豪州)戦と、倒すのに苦労して8ラウンドまでかかったアラン・ディバエン(タイ)の2試合。
おそらくバトラーが打ち合いに出てくることはない。防御を固めてフルラウンドを戦う判定狙いだ。
フットワークを使って動き回り、亀のように頑丈にガードを固めてくる相手を倒すのは容易ではない。小さなひび割れを探してコツコツとディフェンスを崩していく、あるいは、あえてスキを見せて相手を引き出すといった高度な駆け引きが必要になってくる。
大橋会長は、「スピードとパンチが1ラウンドから火を噴く」とリップサービスしたが、井上は「1ラウンドからいくことはございません」と慎重に言葉を選んだのは、強引に力で倒しにいくのではなく、理詰めで“守備的な相手“をKOしたいという構想があるからだろう。
強引にいけば、バトラー陣営が指摘する「ディフェスの弱点」が顔を出す可能性もなくもない。
実際、会見では、「ドネアとはスタイルが違って12ラウンドをフルに使って戦ってくる選手。長引いたとしても対応する準備をしている。今まで見せたことがないボクシングをすることも考えている。すべてリングに上がってからの直感で戦いたい」と言った。
油断は微塵もない。
今回の試合に先立ち、ロスで合宿を張ってきた。
大橋会長は、「米国のスパーリング合宿、走り込み合宿を経て、ドネア戦の時よりも1.5番強くなった」と真顔で証言した。その言葉を受けて井上も「技術がどうのこうのと言うより精神的に米国で意味のあるトレーニングをして1.5倍強くなった」と進化を認めた。
たとえ慎重に丁寧に料理をしようと、試合を進めても、1.5倍に増強したモンスターであれば“秒殺決着“になるのかもしれない。
会見の最後に行われた写真撮影。
井上はバトラーと目を合わせるとニンマリと笑い、自ら握手を求めた。そのスポーツマンシップに大人数で会見場に詰めかけたバトラー陣営から歓声が上がったほど。撮影が終わると、今度はグータッチ。そこには覚悟を決めた2人の世界王者のさわやかな空気が流れていた。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)