• HOME
  • 記事
  • 野球
  • 【緊急連載3】阪神の岡田監督はいかにして“虎戦士たち”の心をつかみ日本一に導いたのか…「監督賞」と「監督室の会話」
岡田監督は「監督賞」で選手を激励し監督室での会話で人心を掌握した
岡田監督は「監督賞」で選手を激励し監督室での会話で人心を掌握した

【緊急連載3】阪神の岡田監督はいかにして“虎戦士たち”の心をつかみ日本一に導いたのか…「監督賞」と「監督室の会話」

 阪神がオリックスとの日本シリーズを4勝3敗で制して日本一に輝いた。レギュラーシーズンで18年ぶりに“アレ”を果たし、38年ぶりに“アレのアレ”も達成した。岡田彰布監督(65)はいかにして阪神を変えたのか。緊急連載で知られざる背景に迫った。今回はその第3弾。

 球団フロントがニンジン作戦でバックアップ

 

 「阪神はほんとにいい球団ですね」
 他球団から阪神に移籍してきた選手が必ず口にする言葉だ。
 タイガースでは試合に勝てば勝利給が出る。年俸とは別の支給金だ。選手だけではない。裏方さんからコーチ、監督まで全員に出る。1勝あたりの金額は大きくないが、シーズンの85勝、CSファイナルステージの3勝、日本シリーズの4勝を足したトータル92勝分となると、それなりの金額となる。フロントサイドが選手のモチベーションを高めようと考えた“ニンジン作戦”。聞けば歴史は古く1985年に日本一になったシーズンには、もう勝利給は採用されていたようだ。ただし、これまでは優勝が決定した時点で打ち切りとなっていた。
 だが18年間も“アレ”から遠ざかり「他球団が優勝した時点」が常識となっており、自チームが優勝したケースが想定されていなかった。今季は9月14日の巨人戦で優勝が決まり、15試合も残っていたが、最後まで勝利給が出され続けた。
 加えて岡田監督が個人的に「監督賞」を出した。金額は書かない。一人の時もあれば複数の時もある。ヒーローインタビューに呼ばれる選手には、放映局側からインタビュー謝礼が出るため、岡田監督は、できるだけお立ち台に上がる選手とは重ならないようにして「監督賞」を出すようにした。横浜DeNAに快勝した3月31日の京セラドーム大阪での開幕戦では、お立ち台には先発の青柳と梅野、湯浅の3人が呼ばれたが、岡田監督が「監督賞」を手渡したのは、プロ初の開幕スタメンに抜擢され猛打賞をマークしていたショートの小幡だった。岡田監督はできるだけ全員にいきわたるように誰に渡したかをメモしていたという。
 試合後にすぐに移動しなければならない遠征先のゲームなどでは、スタッフにホテルの部屋まで届けさせる場合が少なくなかったが、甲子園でのゲームなど可能な限り、監督室に選手を呼んで直接、手渡した。岡田監督は、この時に必ずひとことふたこと話をした。
 この監督室での会話が、あるときは、選手にヒントを与え、その積み重ねが、年齢の離れた監督と選手との信頼を構築し、チームをひとつにまとめる力になった。
 9月14日の優勝会見で、岡田監督は、こんな話をした。
「2005年の優勝は、2003年の優勝メンバーがほとんど残った中だったのでコミュニケーションとか会話は少なかった。今年の場合は、自分がやりたい野球、ちょっと変えないといけない部分、一番はとにかく守り重視でいくということだが、そういう意味で前回よりは選手と話す機会は、だいぶ増えた。自分がこういう野球をするということを伝えないといけないので」
 確かに15年前に比べると岡田監督が選手と会話する機会は増えた。ただペラペラと長話をするわけではない。ひとことふたことの短い会話。それが逆にいまどきの選手たちの心に響いた。
 そして、それは“岡田の考え”を選手に伝えるだけでなく、岡田監督自身が、選手が今何を考えているかを知る手がかりとなり、自らが采配をふるう際の大きな材料にもなった。
 8月22日の甲子園での中日戦は、延長10回に突入する激闘となり、最後は二死満塁から大山がレフト前にサヨナラヒットを決めて決着をつけた。マジックを「25」に減らし、“アレ”を向けてチームを前進させる重要なゲームになった。当然、お立ち台のヒーローは大山だったが、岡田監督が監督賞を手渡すために監督室に呼んだのも大山だった。

 

関連記事一覧