「やばい…カッコよすぎる、俺」パリパラ五輪車いすテニスで史上最年少金メダリストとなった小田凱人が残した名言の理由
パリパラリンピックの車いすテニス男子シングルス決勝が7日、ローランギャロスで行われ、初出場で世界ランキング2位の小田凱人(18、東海理化)がフルセットの末に同1位のアルフィー・ヒューエット(26、英国)を破り、この種目で史上最年少の金メダリストになった。過去の対戦成績で負け越しているヒューエットに、最終第3セットでマッチポイントを握られる瀬戸際から4ゲームを連取。歴史に残る大逆転劇で頂点に立った。
決勝前夜に見た正夢
歴史を変えた直後の第一声。感極まった小田が究極の名言を残した。
「やばい……カッコよすぎる、俺」
自らが成し遂げたばかりの偉業に、小田が痺れたのも無理はない。雌雄を決する運命の最終第3セットの第9ゲーム。過去の対戦成績で7勝8敗と負け越している、世界ランキング1位のヒューエットにマッチポイントを握られた。
「正直、負けると思っていました。それまでは負ける気はしなかったけど……」
敗者の涙を流す光景が小田の脳裏をかすめる、絶体絶命の大ピンチから驚異の大逆転劇がはじまる。怒涛の4ゲーム連取。ヒューエットのサービスだった第12ゲームにいたっては、3連続ポイントを奪って一気に逆王手をかけた。
迎えた歓喜のフィナーレ。15-40から放たれた小田の強烈なフォアハンドリターンを、ヒューエットが返せない。車いすの車輪を外した小田が、数々の名勝負が刻まれてきたローランギャロスのセンターコート、フィリップ・シャトリエの赤土のコート上で大の字になり、次の瞬間、両手で顔を覆いながら感情を解き放った。
5月に18歳になったばかりの小田は、思いの丈を叫び声に変えている。
「マジで俺は今日、確定したことがある。俺はこのために生まれてきた。ここで優勝するために、金メダルを取るとるために俺は生まれてきました」
愛知県一宮市で生まれ育った小田は、9歳のときに左脚に骨肉腫を発症。左脚の股関節と大腿骨の一部を削除し、人工関節に置き換える手術を受けた影響で車いすでの生活となり、プロサッカー選手になる夢をあきらめざるをえなかった。
残酷な運命に直面した小田に、病室のテレビ越しに見たレジェンドが勇気と希望を与えてくれた。2012年のロンドンパラリンピック。車いすテニスの男子シングルス決勝で、北京大会に続く連覇を達成した国枝慎吾さん(40)の勇姿に魅せられた小田の胸中に、いつかは自分も、と同じ競技の道を歩んでいく夢が膨らんできた。
新たな目標が見つかったからこそ、2度におよぶがん細胞の肺への転移も乗り越えられた。10歳で車いすテニスを本格的にはじめると、2021年4月には史上最年少の14歳でジュニア世界ランキング1位を記録。翌年のプロ転向後は、全仏を2度、全豪と全英を1度ずつとすでに四大大会を4度も制覇している。
世界を驚かせるほどのスピードで成長を遂げてきた小田は、パリ大会で初めて臨むパラリンピック優勝を自らの使命として掲げてきた。宿敵ヒューエットとの決勝を前に更新した自身のインスタグラムには、こんな言葉を書き込んでいる。
「俺は金メダルを取りに来たんじゃない。世界を変えに来た。(中略)金じゃないと世界を変えられないから俺は取りに行く」
自らにプレッシャーをかけて、逃げ道をなくすための金メダル獲得宣言だけではない。国枝さんが数々の偉業を打ち立て、道を開いてくれた車いすテニス競技に、さらに華やかなスポットライトをあてたい。昨年1月に引退した国枝さんの後継者になる決意を含めて、自らを変えてくれたこの競技への恩返しの思いも込められていた。