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横浜DeNAの桑原がシリーズMVPを獲得した(資料写真・黒田史夫)
横浜DeNAの桑原がシリーズMVPを獲得した(資料写真・黒田史夫)

何が明暗を?なぜ横浜DeNAは26年ぶり“下剋上日本一”を手にできたのか…「ポテンシャルを引きだした“男泣き”三浦監督と圧勝Vのジレンマに苦しんだソフトバンク」

日本シリーズ第6戦が3日、横浜スタジアムで行われ、横浜DeNAがソフトバンクに11―2で圧勝し4勝3敗で26年ぶり3度目の日本一を手にした。横浜DeNAはリーグ3位からクライマックスシリーズで阪神、巨人を破って、セ・リーグのチームとしては史上初となる“下剋上日本一”を果たした。MVPはシリーズ新記録となる5試合連続打点をマークし、長嶋茂雄氏(巨人)、ランディ・バース氏(阪神)に並ぶ、6試合での日本シリーズ最多タイ記録となる9打点をあげた桑原将志(31)が選ばれた。何が両チームの明暗を分けたのか?

 桑原が大会9打点でMVP筒香は先制本塁打を含む4打点

 

 その瞬間、三浦監督はベンチで両手を上げて、その手を見上げる顔の上で結び、目をつぶった。もう涙腺は崩壊していた。マウンドで抱き合う森原と戸柱のバッテリーを中心に歓喜の輪ができている間、珍しくベンチ内ではコーチングスタッグの輪ができていた。「全員で戦う」を掲げたチームの姿を象徴するシーンだった。
 50歳。監督就任4年目の指揮官が横浜の夜空に5度、舞った。
「いやもう最高にうれしいです」
 権藤博監督のもとで日本一に輝いた1998年。その年背番号が「18」に変わったばかりの若き日の三浦監督は、そのメンバーの一人だった。しかし以来、チームはリーグ優勝、もちろん日本一からも遠ざかり、三浦監督は、リアルにその暗黒の時間を現役投手、そして指導者として過ごしてきた。
「いろんな思いが…98年に優勝してから、なかなか勝てずに自分ももう一度という気持ちで…現役のときに優勝できず、監督としてほんと優勝できてうれしいです」
 その言葉に実感がこもる。
 王手をかけた第6戦はワンサイドゲームだった。
 2日のゲームが雨天中止となったが、三浦監督は、先発に中4日でエースの東を送らずに第2戦で山川に2ランを浴びるなど5失点している大貫をスライド登板させた。その大貫は、立ち上がりに一死から今宮に二塁打を許すが、柳田をスプリットで中飛、続く4番の山川を最後はストレートで三球三振に打ち取った。
 球速は145キロ。大貫は飛ばしていたが、ソフトバンクからすれば手も足も出ない投球内容ではなかった。だが、第3戦からヒットがなく思い悩む山川の読みは外れて振り遅れていた。
 さらに2回にも大貫は先頭の近藤を中前打で出塁させたが、栗原をスプリット、続く牧原を143キロのストレートで4-6-3の併殺打に打ち取った。
 現役時代にソフトバンクの前身であるダイエーでプレー、パ・リーグの野球に詳しい評論家の池田親興氏は「ソフトバンクは序盤の好機に得点できなかったことがすべて」と振り返る。
「今シリーズは先制したチームが全勝。それだけ流れが重要だったということ。26イニング無得点のソフトバンクが、その流れを断ち切り先制点を奪っていれば展開は変わっていた。第2戦で打ち込まれた大貫は、開き直ってストライクゾーンで勝負してきた。打たれても『明日は東がいるんだ』という信頼からくる余裕が見えた。崖っぷちに追い込まれ余裕のなかった有原とは対照的だった」
 負けて逆王手をかけられた場合、第7戦に先発予定だった東が、試合後の優勝会見で「もう体がパンパンだったので、日本中で応援をしていただいているベイスターズファンの方よりも僕が一番今日決めてくれと思っていた」と振り返っている。
 ホームで連敗した敵地に乗り込んだ第3戦で、7回1失点の好投を見せて「流れを変えた」エースの存在が大貫に勇気を与えていた。

 

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