親子三代のボクシング界”ミライモンスター”松本圭佑がプロ転向。「井上尚弥さんの言葉に押された」「父のロマンを」
父は憧れの人である。
自宅に残っているビデオテープの映像で1992年4月に韓国でWBA世界フェザー級王者、朴永均(韓国)に初挑戦して11回TKO負けした試合も、OPBF東洋太平洋フェザー級王者、サミュエル・デュラン(フィリピン)を8回に倒した試合も、1997年5月に再び韓国でWBA世界スーパーフェザー級王者、崔龍洙(韓国)に挑み判定負けした試合も、1998年9月に代々木第二体育館で、体重超過で計量失格したWBA世界フェザー級王者、フレディ・ノーウッド(米国)に挑み10回TKO負けした試合もすべて見た。 「自分で見たかったのか、僕に見せたかったのか」
小学生の頃から自宅のテレビでビデオ映像が何度も流されていたという。
「なんで勝てなかったのか、世界王者になって欲しかった、と、映像を見ながら悔しい思いをした。父はうまいボクサー。今の僕が父と対戦することを考えると崩しにくそう、ずるがしこそうに思える。相手の分析がうまい。父が果たせなかった夢を果たすことはプロに転向する大きなモチベーションのひとつになっている。父親を超えるイコール世界チャンピオンです」
スーパーバンタム級でスタートするが、「父が取れなかったフェザー級で、世界挑戦することにロマンがあるかも」とまで言う。
この日の会見で着ていたストライプのスーツは父のお下がり。裏地には「松本好二」の刺繍があった。
実は、圭佑という名は、父がリングネームとしてつけるはずの名前だった。 「ヨネクラジムでは、姓名診断で運勢のいい名前に変えるという伝統があり、私の本名は弘司だったんですが、好二か、圭佑か、悠作かの3つのうちのどれかにしなさいと勝ち運のある名前候補をもらったんです。私は好二を選びましたが、悠作は、最初に飼ったわんちゃんにつけて(笑)圭佑を長男につけたのです」と父の好二さんが言う。
父から子へ。
「夢を託すという気持ちはゼロではないが、そうではない。それを負担にさせたくない。圭佑は、圭佑として夢を追いかけて欲しい。僕は邪魔にならないように力になれれば」
トレーナーとして親子でタッグを組み、子の夢の実現をサポートしたい。だが、その一方で、「なるべく打たれないボクシングをさせたい。ケガをしてほしくないから。でもプロになってしまうからには、それだけではダメ。ただ勝てばいいだけじゃない。パフォーマンス力をあげなきゃいけない。そこが葛藤するところ。複雑なところ」と父として複雑な心境を吐露した。
井上兄弟と、真吾トレーナーという親子タッグの理想像が目の前にあるが、「私は真吾さんが言うように我が子を谷に落とせない性格。小さいときに泣き虫で何をやっても続かない息子を守ってやりたいと生きてきた。そのイメージが20歳になっても取れない」と苦笑いを浮かべた。