なぜ日本選手権男子1万mで箱根駅伝を沸かせた”日本長距離界ホープ”らはオレゴン世界陸上の代表内定に届かなかったのか
一方の伊藤は1週間前に体調を崩しており、相澤と比べても状態は良くないように見えた。
「コンディションが良くなかったので、参加標準記録をギリギリ切って、3位以内に入れればいいかなと思っていました。そのためにもペースメーカーに積極的についていく予定だったんですけど、予想以上に序盤からきつくて、一杯いっぱいのレースになってしまいました。万全だったらもっと積極的に攻めていたんですが、弱気になってしまった部分があったかなと思います」
5000mの通過は13分49秒。予定のタイムよりも5秒ほど遅かった。さらにここからペースが落ちていく。7600m付近でようやく相澤がペースを上げて、前を走る外国人選手の背後に迫った。 「外国人選手に追いつくところで体力を使ってしまったので、そこからさらに上げていき、参加標準記録を切る体力は正直、残っていませんでした。少し回復させて、ラスト2000mで勝負できればいいかなと思って走りました」(相澤)
8000mは22分22秒で通過する。日本人は相澤、伊藤、田澤の順番だった。しかし、8600m付近で田澤が脱落すると、順位を落としていく。田澤も今大会に向けてのピーキングがうまくいっていなかった。 4月9日の金栗記念選抜中長距離5000mで学生歴代8位(日本人学生歴代6位)の13分22秒60をマークしたが、その後の流れが良くなかったという。
「金栗記念の後、体調というかコンディションをすごく落としてしまったんです。いつもは試合が終わった後は少し休んでから自分の練習をするんですけど、今回は休まずにすぐやってしまって、疲労が取れなかった。相澤さんがペースを上げたあたりから余裕がなくなって、力ある限り、ついていこうとしたんですけど、体力が持たずに落ちてしまったかたちです。最低3番以内に入りたかったんですけど、大事な試合で力を発揮できないという自分の弱さが出たと思っています」(田澤)
田澤を振り落とした相澤は他のライバルたちも引き離す。早めのスパートで勝負を決めて、2年ぶり2回目の優勝に輝いた。
前回覇者の伊藤は、「8000mぐらいから参加標準記録は無理だなと思ったので、順位だけしっかり狙いにいきました。最後はプライドもあって、なんとかいきました」と得意のラストスパートで競り合っていた3選手を引き離して2位でゴールに駆け込んだ。そして3位には市田孝(旭化成)が入った。