なぜ村田諒太の”魂の戦い”は”最強”ゴロフキンに9回TKO負けしながらも人々の感動を呼んだのか…現役引退を決断
村田は、不安に駆り立てられたとき父から贈られたビクトール・フランクルの世界的ベストセラ―「夜と霧」を読み返した。ユダヤ人としてナチスのアウシュビッツ収容所に入れられ、絶望の最中、希望を失わなかった人々の姿を描き、人間の生きる意味を問う作品である。 「人生に意味を求めるのではなく人生からの問いにどう答えるか」 失礼かもしれないが、生と死の狭間で希望を失わなかった人々の生きざまに今の自分が置かれた立場を重ねてみた。 村田は、試合の前1か月前から、カフェイン断ちをするのだが、その日ばかりは、思う存分、カップにコーヒーを注いだという。 本田会長は「勝っても負けてもこの試合を最後にするつもりだったんじゃないか、もうやらないでしょう」と村田の引退を示唆した。 村田は、この試合を最後に引退する意思を固めた。実は本田会長の言葉通りに村田は勝っても負けても、この試合をラストマッチとすることを心に決めていた。
6歳の肉体はボロボロだった。本田会長によると、「首、肘、膝と故障だらけ」で、恒例の走り込みキャンプもできず、3月1日にホテルに入ってからは一度もロードワークを行っていない。最後に防衛戦を行った2019年12月のスティーブン・バトラー戦は、5回TKOで勝ったが、目の周りが腫れるほどの被弾があり、そのダメージで動体視力がガクッと落ちた。自己の内面と向き合い続けた精神も肉体ももう限界だった。 「早く解放されたい」。試合ができない間、村田の心の叫びを何度聞いたかわからない。師と仰ぐ南京都高ボクシング部監督だった故・武元前川先生の教え子への願いは「五体満足でリングを降りてグローブを吊るしなさい」だった。
本人には無理だと言われたミドル級で五輪の金メダルを獲得したボクサーはプロの世界でも世界のベルトを巻き、本物の世界王者と“リアル世界一”をかけて戦った。人間臭さと人格を兼ね備えた稀代の名ボクサーの功績は永遠に語り継がれるだろう。
最後に。
村田後援会恒例の祝勝会が祝勝の2文字を「お疲れ様会」に変えて日付を跨いで都内で行われた。後援会側は、ダメージを負った村田は参加しないものだと考えていた。だが、ゴロフキンにあれだけ打たれたというのに午前1時を回って村田は、傷だらけの顔で律儀にひょこっと現れた。義と情に生きる漢は、愛すべき人たちの前でこんな昔話をした。 「中学の時に先輩に絡まれて、ぶっとばしたのに、次の日に学校に行くと僕がやられたことになっていた。自分の強さを証明するには、どうすればいいかと考えて、選んだのが、強い弱いがハッキリするボクシングです。五輪でメダルを取れば、強さを証明できる。世界王者になれば強さを証明できると思っていたが、最強ゴロフキンと戦いもしないのであれば、中学の時の自分に嘘をつくことになる。なんや口だけかと。今日自分に嘘をつかなくて済んだ。悔しいけれどスッキリもしている。20年前の少年・村田諒太に言ってやりたい。おまえは嘘をつかずにちゃんとやったぞと」
さいたまアリーナに奇跡は起きなかった。いや美しき敗者が、本物のボクシングとは何か、本物の生きざまとか何かを見せてくれた感動の一夜こそ奇跡だったのかもしれない。
(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)