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JFLの鈴鹿ポイントゲッターズのFW三浦知良が国立競技場で行われたクリアソン新宿戦の後半31分から途中出場もシュートはゼロ(写真:森田直樹/アフロスポーツ)
JFLの鈴鹿ポイントゲッターズのFW三浦知良が国立競技場で行われたクリアソン新宿戦の後半31分から途中出場もシュートはゼロ(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

“キングカズ”は11年ぶりに凱旋した“聖地”国立で何を思ったか…「皆さんが僕にゴールを期待しているのはわかるが…」

 入場者がまだ大まかな数で発表されていた時代。日本リーグから2万人と発表された一戦は、閑古鳥が鳴くのが日常だったリーグ戦のスタンドとは180度違っていた。
「都並(敏史)さんが『カズが帰ってきたから(お客さんが)入っているよな』と、僕の横で言ったのをちょっと思い出しましたね」
 日本代表として初めて聖地でプレーしたのは1991年6月9日。代表チームではなくクラブチームを招いていたキリンカップ最終戦で、トットナム・ホットスパー(イングランド)を4-0で撃破して初優勝を飾った。ヒーローは2ゴールをあげたカズだった。
 1993年5月15日に旧国立競技場で行われた、ヴェルディと横浜マリノスが対峙した歴史的な開幕戦でも、キャプテンとして先発フル出場した。J1リーグ戦で20ゴール、日本代表の国際Aマッチでは29ゴールと、ともに歴代最多記録をマークした聖地を「ここは特別なところですからね」と位置づけながら、得点記録の数々には謙遜する。
「他の選手より多くここでプレーしたからじゃないですか。2002年のワールドカップまでは、全国にそこまで大きなスタジアムがなかったこともあって代表の試合はここばかりだったし、Jリーグも最初のころはここでの試合が多かった。代表では(ハンス・)オフト監督に『僕が交代したいと言うまで、交代させないでほしい』と言っていましたからね」
 30年近く前の秘話を明かしながら笑ったカズだったが、やはりセンチメンタルな思い出話だけでは終わらない。元号が平成に変わった直後から日本サッカー界を駆け抜けてきたレジェンドは、過去といま現在、そして未来を、聖地を介して結びつけることも忘れなかった。
「これからも東京の真ん中で新しく変わった国立でまたいろいろな試合が開催されて、歴史が作られていくなかで今日がその1試合になればいいと思っていた。そのなかで自分自身がここのピッチに立ててプレーできたのも、チームが勝利できたことも本当に嬉しく思っています」
 さまざまな思いを刻みながら、聖地での90分間は幕を閉じた。自身が持つJFLの歴代最年長記録を55歳225日に更新したカズは、こんな言葉も残している。
「今年からJFLに参加していますけど、選手たちはみんな上を目指してプレーしている。Jリーグ以上にハングリー精神を持っていかないと戦えない。僕自身もハングリー精神を忘れずにこれからも戦っていきたいし、コツコツと努力を積み重ねていきたい」
 決意も新たに国立競技場を後にした“キング”の視線はすでに、ホームの三交鈴鹿にMIOびわこ滋賀を迎える16日の次節へと向けられていた。
(文責・藤江直人/スポーツライター)

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