世界に羽生結弦の競技“引退”が波紋…「間違いなく歴代最高スケーター」「エレガントな滑りは審判も味方に」中国でSNSトレンド1位
フィギュアスケートのソチ、平昌五輪で2連覇を果たした羽生結弦(27、ANA)が19日、都内のホテルで会見を行い、今後は競技の第一線を退き、プロスケーターとして第2のスケート人生を歩み出すことを明かした。また北京五輪で挑み、回転は認められながらも着氷できなかった4回転アクセルへの挑戦を続けることを誓った。海外メディアも羽生の競技からの“引退”を一斉に伝え、その功績を称えた。
「自分の弱さと過去の自分とも戦い続けながら滑っていきたい」
「緊張している」という羽生の決意表明会見は、感謝の言葉から始まった。 競技生活からの“引退”を最初に考えたのは、平昌五輪で2連覇を果たした後。最終的には4回転アクセルに挑戦したものの怪我に悩まされ4位に終わった北京五輪後に、自らを向上させるためには「もう別にここのステージにいつまでもいる必要はない」と決断した。
さみしさはない。
「競技会の緊張感が恋しくなることは絶対ない」とも言う。
現役時代に様々なプレッシャーと戦ってきたことも明かした。
「僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷」 わけもなく涙がながれ、ご飯が喉を通らず、誰を信用していいかわからない人間不信にも陥った。
「いわれもないことを言われたり、そんな叩かなくてもいいじゃんと思うようなこと」もあったという。
苦難を乗り越えて3度出場、2つの金メダルを獲得した五輪とは?と聞かれ「自分が生きている証、頑張った証、これから頑張っていくための土台でもある」と答えた。
プロアスリートとなる今後についての具体的なプランは明かさなかったが、アイスショーなどに出演していく中での「挑戦」という哲学は貫いていく。
「人間として美しくありたい」
4回転アクセルへの挑戦続行もそのひとつだ。
「これからは自分のことを認めつつ、自分の弱さと過去の自分とも戦い続けながら滑っていきたい。さらに上手くなるし努力を続ける。“見たいな”“見る価値があるな”と思っていただけるように。心から何かを感じられるような演技をこれからも続けたい」
羽生は「引退」という言葉を使わなかったが、フィギュアの世界的スターが競技界の第一線を退くというニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡った。
米NBCスポーツは「羽生がフィギュアスケートから引退。『評価されることを求めなくなった』」との会見での本人の言葉を見出しに取り「2度の五輪チャンピオンで間違いなく男子フィギュアシングルの歴代最高スケーターである羽生が火曜日に27歳での引退を発表した」と伝えた。
記事は、羽生の会見コメントを紹介しつつ、ここまでの歩みをこう説明した。
「4歳でスケートを始め早熟な才能を持った羽生は、2010年に15歳で世界ジュニアのタイトルを勝ち取った。2011年の東北大地震と津波の震源地は、彼の故郷である仙台から80マイル(約130キロ)だった。彼は、地震発生時は練習中で、被害を受けた自宅に戻るまで避難施設で3日間から4日間を過ごしたと伝えられている。2012年に彼は世界選手権で銅メダルを獲得した。2014年ソチ五輪ではミスをする選手が多く出た中で金メダルを取り、カナダのパトリック・チャン時代を終わらせた。そこから彼は繰り返される足首の故障に加え、2014年中国杯での正面衝突事故や毎シーズン敗北をも味わってきたが、平昌大会で獲得した2つ目の五輪金メダルを通して、この競技での王者の座を守ってきた。彼は1948年と1952年に米国のディック・バトンが達成して以来となる五輪のフィギュアスケートのシングルで連覇した選手となった」
そして北京五輪で金メダルを獲得した羽生の“ライバル”ネイサン・チェン(23、米国)を引き合いに出し、「チェンは前回の五輪で(羽生から)王座を継承したが、羽生について質問を受けると、常に畏敬の念を持って語っていた」とし、こう続けた。
「世界各地でのグレードの低い大会でさえも、日本のメガスターが出場すれは、そのスケートを見るために野宿までするファンがおり、彼が競技を終えた後には、くまのプーさんが氷上に散らばった」
羽生の代名詞でもある、その演技後にくまのプーさんのぬいぐるみが投げ込まれるシーンをピックアップした。
英国のBBCは、「男子フィギュアスケート界で史上最も偉大な選手の1人である日本の羽生が引退を発表した。27歳の羽生は2014年のソチと2018年の平昌で過去66年で初めて五輪を連覇した男子選手となった。故障に悩まされ、3連覇を狙った2022年の北京大会は4位に終わり3連覇は逃していた」と報じた。
そして、この日の会見から「『アイスプリンス』として知られるスケーター(の羽生)は、観客の前で4回転アクセルを着氷させる探求を続けていくと表明した。彼は北京五輪では競技会で初めて4回転アクセルを成功させると約束していたが失敗し、彼のゴールは、今代わりにエキシビションでそれを追い求めていくことになった」と伝えた。
012年に彼は世界選手権で銅メダルを獲得した。2014年ソチ五輪ではミスをする選手が多く出た中で金メダルを取り、カナダのパトリック・チャン時代を終わらせた。そこから彼は繰り返される足首の故障に加え、2014年中国杯での正面衝突事故や毎シーズン敗北をも味わってきたが、平昌大会で獲得した2つ目の五輪金メダルを通して、この競技での王者の座を守ってきた。彼は1948年と1952年に米国のディック・バトンが達成して以来となる五輪のフィギュアスケートのシングルで連覇した選手となった」 そして北京五輪で金メダルを獲得した羽生の“ライバル”ネイサン・チェン(23、米国)を引き合いに出し、「チェンは前回の五輪で(羽生から)王座を継承したが、羽生について質問を受けると、常に畏敬の念を持って語っていた」とし、こう続けた。 「世界各地でのグレードの低い大会でさえも、日本のメガスターが出場すれは、そのスケートを見るために野宿までするファンがおり、彼が競技を終えた後には、くまのプーさんが氷上に散らばった」 羽生の代名詞でもある、その演技後にくまのプーさんのぬいぐるみが投げ込まれるシーンをピックアップした。 英国のBBCは、「男子フィギュアスケート界で史上最も偉大な選手の1人である日本の羽生が引退を発表した。27歳の羽生は2014年のソチと2018年の平昌で過去66年で初めて五輪を連覇した男子選手となった。故障に悩まされ、3連覇を狙った2022年の北京大会は4位に終わり3連覇は逃していた」と報じた。 そして、この日の会見から「『アイスプリンス』として知られるスケーター(の羽生)は、観客の前で4回転アクセルを着氷させる探求を続けていくと表明した。彼は北京五輪では競技会で初めて4回転アクセルを成功させると約束していたが失敗し、彼のゴールは、今代わりにエキシビションでそれを追い求めていくことになった」と伝えた。