挑戦者が計量失格で実施された異例のWBO世界ミニマム級戦に何があったのか…王者の谷口将隆が11回TKO勝利した舞台裏の全真相
陣営は、出身校の龍谷大でパブリックビューイングが予定されていることなどを引き合いに出して谷口を説得すると同時に、石澤陣営と再計量の条件の協議をスタートした。
石澤陣営はリミットからの4キロオーバーを求めたが、谷口側は3キロオーバーを主張。しかも、再計量時間が早ければ、リカバリーでリングに上がる時間には増量する可能性があるため、ゴング予定時間の2時間前の午後6時に行うことを要望した。石澤陣営は、回復の時間が少なければ、体調不良で事故が起きる危険性があることから、再度時間調整を求めて、結局、午後5時30分の再計量で落ち着いた。 思い悩んでいた谷口も計量後に食事をして「いろいろあったがご飯を食べたら、明日がんばればいいかとなった。やるとなったら戦闘モードに入れるしかない」と気持ちを切り替えたという。
一方の石澤は700グラムしか増やせないことから、ほぼ絶食となり水分だけを細かく補給して一晩を過ごした。そして定刻の午後5時30分に石澤は、50.6キロの再計量のリミットでクリアした。
JBCは、昼過ぎに石澤陣営に体重を確認していたが、もし100グラムでもオーバーしていれば中止だった。谷口は「ハラハラでした。5時30分まで」と打ち明けた。
石澤は再計量後に短い取材に応じて謝罪すると共に「回復はしきれていないというのが正直なところ。でも試合のチャンスを与えてくれた。それ(回復)は二の次」と語り、気持ちが切れていないことを強調していた。 試合まで約2時間半の猶予はあったが、石澤は、固形物は口にできず、水分、ゼリー状のエネルギードリング、おかゆを補給したくらい。おそらく多く見積もっても、プラス1.5キロほど、52.1キロ程度の体重でリングに上がったと見られる。
一方の谷口は52.6キロだった。結果的に2階級差のハンデは埋められたが、自業自得とはいえ、今度は、逆に丸1日、満足な回復のできてない石澤の体調が心配された。しかし、挑戦者は終盤に「来い!」とアピールするほどの気迫を見せて世界戦を成立させた。
「陣営も僕ももっとヘロヘロになると思っていた。途中くらいから足の力が入らなかった。でも気持ちを切らさず、しけた試合をしないようにした」
最善を尽くした両陣営の努力により、事故という最悪の事態は避けられ、1495人で埋まった後楽園ホールを熱狂させる世界戦になった。
谷口陣営の渡辺会長も「試合が成立してほっとした」という。
だが、JBCの対応も含め今後への課題は残った。選手の安全と健康を守るため、サウナで水抜きをしたWBO世界バンタム級王者のジョンリエル・カシメロ(フィリピン)の防衛戦出場をローカルコミッションとして医療ガイド違反で認めなかった英国ボクシング管理委員会のような、水抜きに対応する、より細かいルールの整備や事前の体重チェックのルール化なども必要だろう。
当然、石澤には1年以上のライセンス停止などのペナルティが科せられることになるが、財政破綻で財団法人が解散、現在、清算法人となっているJBCは倫理委員会が解散しており、ペナルティを決定することもできないという現実がある。
後楽園のエレベーターホールにパイプ椅子だけが置かれた臨時の会見場所で石澤は「王者になる資格も実力もなかった」と自分を責めた。
そして引退の決意を固めていたことを明かした。
「計量に間に合わないと思ったところで試合が終わったら引退しようと決めていた。昨日、今日とチャンスをもらってからは、その気持ちは捨てていたが、また明日から進退について、まずしっかりと謝罪をしてから考えたい」
そのちょうど反対側で取材に応じていた谷口は、王者としての極上のテクニックを見せ、渡辺会長は「海外防衛」の構想も口にした。王者は、むしろ被害者で、興行が無事に終わったことが何よりだが、後味の悪さが残ったのも事実である。
(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)