日本サッカー史に新たな歴史刻む…J1史上初の女性レフェリー山下良美氏のジャッジは両チームにどのように映ったか…長友の声は
すかさず白井が両手を広げ、警告に値するファウルなのかとアピールする。東のファウルとの違いは何なのか、という思いがよぎったのか。ベンチで戦況を見つめていた京都の曹貴裁(チョウ・キジェ)監督も、公式会見で「判定のところでカードの基準がちょっとわからない、というのが僕のなかであった」と明かした。
しかし、指揮官は「ただ、そういうことではなくて」と続け、試合をトータルで見ればまったく異なる次元で価値がある90分間だったと強調することも忘れなかった。
「非常に努力をされてこの場に立たれた方だと思うので。そういうことを達成された方がJ1で堂々と笛を吹かれたゲームは、サッカー界において非常に明るいというか、日本社会全体にとっても非常に喜ばしいことなんじゃないかと思います」
今年に入っただけでも、4月にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)で主審を担当。5月には来たるカタール大会を担当する、今回で22回目を迎えるワールドカップ史上で初めてとなる女性レフェリー6人のなかの一人に選出された。
7月には初めてJ2で主審を担当し、さらにJFAと女性として初めてプロフェッショナル契約を結んだ。それまではスポーツクラブに勤務しながら、早朝や夜間に時間を作ってトレーニングにあてていた日々が一変。レフェリーだけで収入を得られる状況に「責任を感じ、背負いながら日々の活動に励んでいきたい」と決意を新たにした。
そして、ついにJ1の試合も裁いた。歴史を次々と塗り替えてきたパイオニアは、選手としてプレーしていた時期は審判が視界にほぼ入らなかったと明かしたことがある。
「一緒に試合をしているはずなのに、まったく興味や関心がない世界でした」
転機が訪れたのは東京学芸大に在学していたときだった。先輩から強引に頼まれ、無理やり連れて行かれた試合で務めた主審という役割に魅力を感じた。一度決めたら、とことん突き詰める性格も手伝い、本格的に資格を取得し始めた。
4級から3級、そしてJFAが主催する全国レベルの試合で副審を担当できる2級の資格を取得したときに、社会人チームで続けていた選手との二刀流からひとつに絞った。