東京五輪金メダリストの堀米雄斗とFC東京が異色のコラボ…パリ五輪連覇が期待されるスケートボーダーが訴えたかった事とは?
特にプロスケーターの堀米に関しては22歳(当時)にして「億単位の年収」と報じられ、テレビで紹介されたロサンゼルスの豪邸が「1億円」として脚光を浴びた。
アメリカでも長く異端視されてきたスケートボードは、1995年に大きなターニングポイントを迎えた。スポーツ専門チャンネル『ESPN』が主催するメガイベントのX Gamesの正式競技に採用され、映像を介して速さや高さ、華麗さに危険さを伴った離れ業で魅せるエクストリームスポーツの仲間入りを果たしたからだ。
プロスケーターの収入は億単位にはね上がり、一気に子どもたちが憧れる職業の仲間入りまで果たした。日本スケートボード協会の年間グランドチャンピオンだった堀米が、17歳でアメリカへの移住を決意したのも、スケートボードの本場で活躍しなければ誰にも認めてもらえない、という思いに突き動かされたからだ。
「アメリカに住んでいて一番思うのは、町中でスケートボードをしていても、怒られる数だけでなく応援してくれる数も日本とまったく違うことですね。実際に警察官に怒られたりすることもあるんですけど、話しているうちにその警察官が僕のスケートボードを使って、急に技を披露しはじめたりするのが普通にあるんですよ」
スケートボード競技のなかでも、特にボードさえあれば公園や公道などでも手軽にできるストリート種目への理解が進み、文化として市民の日常生活に深く浸透している証でもある警察官とのエピソードを、堀米は苦笑いしながら明かしてくれた。
だからこそ、アメリカより大きく遅れている日本のストリートの現状を変えたい。周囲から危険と見なされ、騒音が出ると周辺住民らから疎んじられ、奔放なファッションを含めて厄介者と受け止められる状況が少なからず残っているからこそ、五輪金メダリストの肩書きを背負った自分が引っ張りながら変えていきたいと堀米は意気込む。
「ストリートカルチャーは日本ではまだ認められていない部分もあると思います。すぐに変えられるものではありませんが、これからはスケーターだけではなく、普通の人たちも一度はスケートボードに触れるような機会を作っていけるようにすれば、もっとストリートに対する気持ちも変わっていくのかなと思っています。オリンピックの後から日本のスケートボード人口もすごく増えてきているので、このいい流れを止めないように、自分でもいろいろな活動やイベントを介してもっと日本のスケートボード界を盛り上げていきたいし、もちろん世界のスケートレベルも(自分が)上げていきたい」
堀米が初めて目の当たりにしたJリーグの公式戦は、前半に2点のビハインドを背負ったFC東京が後半に入って奮起。MF塚川孝輝(28)のJ1初ゴールを含めた2発で追いつき、その後はともに譲らない攻防を繰り広げた末に2-2で幕を閉じた。 絶妙の右コーナーキックから後半18分の同点ゴールをアシストした高卒ルーキー、MF松木玖生(19、青森山田卒)の存在も含めて、日本人アスリートの活躍を自らへの刺激に変えてきた堀米にとっても見応えのある一戦となったはずだ。
2024年のパリ五輪でも実施予定の男子ストリートで連覇を目指すトップアスリートとして、そして愛してやまないスケートボードの素晴らしさを日本中へ広めていく伝道師として。自らの努力で切り開いた2つの道を、堀米は全力で駆け抜けていく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)