横浜F・マリノスがJ通算500勝…1勝目を刻んだ父・水沼貴史氏から30年の時を超え長男・宏太が2アシスト活躍の運命ドラマ
29年前の1993年5月15日の夜に1試合だけ行われた、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と横浜マリノス(当時)の歴史的な開幕戦。待ち焦がれたプロ時代の到来を告げる一戦をスタンドで観戦していた水沼は、3歳のころの記憶がないと苦笑する。
「本当にマリノスの旗を振っている記憶しかなくて……」
日本中が注目した一戦は、1-1で迎えた後半14分に勝ち越しゴールをあげたマリノスに凱歌が上がった。スルーパスに抜け出した水沼貴史が放った強烈なシュートのこぼれ球を、初代得点王の元アルゼンチン代表FWラモン・ディアスが押し込んだ。
5歳でサッカーを始めてから、マリノスが初勝利をあげた一戦のビデオを何度も見た。父の勇姿を記憶に焼きつけただけではない。父や盟友の木村和司、対戦相手の加藤久ら、長く低迷してきた日本サッカーの冬の時代を支え続けたベテランたちが、キックオフ前の段階で感極まって涙していたエピソードもほどなくして知った。
「会場にいて1勝目を見届けた記憶はありませんけど、会場にいたというところからこうして歴史を作る機会に自分が携われたのは、あらためて幸せだと感じています」
初勝利を含めた黎明期を父たちが築いてから30年目。鹿島に次ぐ史上2チーム目のJ1通算500勝目を、新旧の違いこそあるものの、国立競技場の舞台で手にした。 マリノスが破竹の5連勝をマークし、なおかつ清水がクラブ創設30周年記念マッチをホームのIAIスタジアム日本平ではなく、国立競技場で開催したからこそ作られた歴史。運命に導かれたようなめぐり合わせに、水沼は感謝の思いを捧げた。
「いままで歴史を作ってきたマリノスの偉大な先輩たちに感謝しつつ、僕たちもその歴史のなかにいることができたのは、あらためて幸せだと思っています」
もっとも、水沼自身のキャリアは決して順風満帆ではなかった。
5歳でサッカーをはじめ、いつしか尊敬する父の背中を追ってプロになりたいと誓いを立てた。父のアドバイスもあり、中学進学を機にJクラブの下部組織入りを決意。迷わずにマリノスのジュニアユースの門を叩き、見事合格を果たした。
ユースをへて2008年にトップチームに昇格。神様ジーコ(鹿島)とジュニオール(鳥栖)、ハーフナー・ディド(コンサドーレ札幌など)とマイク(横浜F・マリノス)に次ぐ、親子2代のJリーガーになった。しかし、当時のマリノスの選手層はあまりに厚かった。
「当時はマリノスで試合に出られるようなレベルではないと自分でも思っていたので、その意味ではそこから十何年がたちますけど、こうしてマリノスのユニフォームを着て国立のピッチに立てて、本当に幸せだと実感しています」
ちょっぴり感慨に浸った水沼は、前身の日産自動車を通じて、マリノスひと筋でプレーした父とはまったく別の道を選んだ。とにかく試合に出る――をテーマに掲げて、プロ3年目の途中、2010年7月にJ2の栃木SCへ期限付き移籍した。
在籍した1年半でリーグ戦50試合に出場。父と同じ右サイドアタッカーとして、いま現在につながるクロッサーとしての潜在能力を開花させていった。
2012シーズンにはJ1へ初めて昇格したサガン鳥栖へ期限付き移籍。J1リーグの舞台でともにゴールを決めた、史上初の父子になった翌2013シーズンからは完全移籍へ切り替え、11年間にわたって所属してきたマリノスと別の道を歩み始めた。