引退表明していた横浜FC中村俊輔が万感のラストマッチ…試合後に明かした“第二のサッカー人生像”とは?
「サッカーと一緒で全部ゼロからだね。自分の感覚を一回捨て去る必要があるし、指導者とはなんぞやからスタートです。経験がじゃますることもあるだろうし、やっぱり人と人だからね。信頼とか人間性が戦術より勝るのを見てきた。真っ白にしてから始めないと自分の経験も生きてこない」
カリキュラムを終えてB級ライセンスを取得した際にも、JFAのインストラクターからは「教えすぎ」や「答えを知りすぎている」といったアドバイスを受けたという。A級ジェネラル、そしてJクラブや日本代表監督に必要なS級の取得を目指していく上での指針も固まっている。
「考えさせて、それを促す作業も必要になってくる。B級の段階でそうなのに、これからA級、S級とある。いろいろなことにトライして、いろいろな角度でいろいろな人から吸収したい」
横浜FCが1点を追ったまま、膠着状態に陥っていた後半15分。FW伊藤翔(34)との交代でタッチラインを踏み越えた瞬間に、26年間におよんだ俊輔の現役生活が終わりを告げた。
他の10人のチームメイト全員とハグをして、ピッチを後にする背番号「25」へ、横浜FCだけでなく熊本のファン・サポーターからも万雷の拍手が降り注ぐ。試合に敗れた熊本は、ホーム最終戦セレモニーを控えた慌ただしい時間のなかで電光掲示板に俊輔の写真を映しだし、感謝の言葉を添えて引退をねぎらった。俊輔も感謝の思いを抱かずにはいられなかった。
「こういう時期が来るというか(現役を)終えてみると、いろいろな人に支えられていた自分は本当に運がよかったとあらためて感じています。僕自身がプレーするのは簡単だけど、サポートしかできない周囲の方々がしんどく感じた時期もあったと思う。家族を含めて、一緒に戦ってきてくれた方々へ、ありがとうという感謝の気持ちを込めて今日はプレーしました」
勝利を報告しにいったゴール裏のスタンド前で、かけがえのない仲間たちによる胴上げで3度宙を舞った。試合後の取材エリアに姿を現した俊輔は、涙腺を決壊させまいと必死に言葉を紡ぎ続けた。痛みと闘い続けた日々も、2022年10月23日をもって終わる。
俊輔の形容詞は数え切れないほどあった。「天才」にはじまり「黄金のレフティー」や「ファンタジスタ」と変遷してきたなかで最後に見せたのは万感の笑顔と、愛してやまないサッカーをとことん突き詰め、現役を終えた後は次世代を育てる指導者を志す“永遠のサッカー小僧”だった。
(文責・藤江直人/スポーツライター)