電撃引退を発表した日ハム杉谷拳士の“エンターテイメント野球人生”を支えた甲子園の帝京vs智弁和歌山“痛恨の1球”とは?
また杉谷は福岡工大城東との3回戦で、打球を右頬に受けて骨折する重症を負っていた。それでも「まだ左の頬は折れていません」と強行出場を志願。実際に智弁和歌山戦では「8番・ショート」で先発し、9回表には逆転タイムリーをレフト前に放っている。
その1年生の夏を皮切りに、杉谷は春を合わせて3度甲子園に出場。目標としていた全国制覇はならなかったが、卒業後にプロの道へと進む。進路は社会人野球に決まっていたが、プロへの夢をあきらめきれずに日本ハムの入団テストを受け、晴れて合格。2008年のドラフトで6位指名され、憧れてきた世界へ足を踏み入れた。あの痛恨の1球の記憶が杉谷のその後の野球生活の支えだったのかもしれない。
背番号を「61」から「2」に変更した2016シーズン以降を含めて、14年間におよんだプロ生活で規定打席には一度も達していない。それでも内野だけでなく外野も守れるユーティリティープレーヤーとして重宝された。そして何より「強気な楽天家」が球界を代表するムードメーカーとして存在感を放ってきた軌跡は、敵味方の垣根を超えてファンの脳裏に鮮明に焼きつけられている。
愛されるキャラクターを象徴するのが、西武の本拠地ベルーナドームでの試合前の打撃練習時にウグイス嬢からいじられる光景。それはいつしか名物になった。
「ご来場のみなさま、杉谷拳士ロスのみなさま、お待たせいたしました。杉谷選手の打球が頻繁にスタンドに入ります。くれぐれもご注意ください」
この日に札幌市内の球団事務所で急きょ開催した引退会見ならぬ「人生の前進会見」でも、杉谷は西武のウグイス嬢へ感謝の言葉を口にすることも忘れなかった。
「本当に今までたくさんの素敵なお言葉をありがとうございます。今後はどういう立場になるかわかりませんけど、今後も行っときには、ごあいさつさせていただきたいですね」
会見終了後にサプライズ登壇した栗山英樹元監督(現・侍ジャパン監督)から花束を贈呈され、こみあげてくる熱い思いを我慢できずに号泣した杉谷は、第2の人生をこうみすえていた。
「面談を重ね、自分の将来を含めて総合的な判断をしたなかでこの形となりました。ただ、引退会見という言葉は使いたくありません。プロ野球選手の杉谷拳士は終わりですけれども、今後へ向けて人生はまだ出発したばかり。前進会見ということで、これからの人生を前進していきます。将来は北海道、そしてファイターズの力になりたいと思って勉強してきます」
最終的な成績は777試合に出場して288安打、16本塁打、104打点で通算打率は.212。記録以上に記憶に色濃く残る男が最後に見せた姿は、常に前を向き、物怖じせず、それでいて聞き手の心を射抜くキャッチーな言葉をさらりと口にした16年前とまったく変わらなかった。
(文責・藤江直人/スポーツライター)