W杯代表落選の大迫勇也の“今”とプライドを神戸同僚“元W杯戦士”酒井高徳らが語る
前回のロシアW杯出場をもって代表引退を表明。所属クラブでのプレーに集中してきた酒井は、森保監督らが臨んだ発表会見そのものは「見ていなかったです」と苦笑する。もっとも、その後に見聞きした26人の顔ぶれには、さまざまな思いが脳裏に浮かんだという。
「いろいろな考察が入るようなメンバーだったかな、と。知っている選手が入り、あるいは外れたりして自分なりにもいろいろと思うところはありましたけど、メンバーそのものに関して僕がこの場で言うことはひとつもないので。そこへのコメントは避けたいと思います」
こんな断りを入れた酒井は、選出された26人への言及はしなかった。それでも、ともに1990年度に生まれ、代表で何度も共闘してきた盟友への思いを問われると、気がつけば熱いものが込みあげてくる。特に今シーズンの大迫の姿に胸を打たれたと酒井は振り返る。
「コンディション的に問題があるなかで自分と向き合い、チームに貢献しようと改善してきたメンタリティーは、同年代の選手として本当にリスペクトできた。実際にしっかりと(シーズン佳境に)照準を合わせて結果を残している。自分のなかでプロセスというものを逆算しながら、あのコンディションまで持ってきた。プロとしてのあり方というものを近くで見てきた者として、本当にリスペクトしかない。サコがいなかったらJ1に残留できなかったと思っている」
開幕直後の3月上旬に負った右足の裂傷が、大迫の状態に大きな影響を及ぼした。
同15日に行われたメルボルン・ビクトリー(オーストラリア)とのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)東地区プレーオフで、先発復帰を果たした大迫は2ゴールをマーク。延長戦を含めた120分間を戦い抜き、神戸の勝利とACL本戦出場に貢献した。
しかし、痛めた患部の抜糸をまだ終えていないスクランブル出場だった。当時の神戸は武藤嘉紀らフォワード陣に負傷離脱者が続出。J1リーグ戦でも開幕から勝ち星なしが続いていた苦境で、チームの浮上につながる白星を求めて強行出場していた。
続く清水エスパルスとのリーグ戦でも先発した大迫だが、両足がつった状態になって後半途中で退場。右足が完治していない状態でプレーした代償として、メンバーに選出されていた森保ジャパンの3月シリーズを、清水戦の数時間後に辞退せざるをえなかった。