故障の回復が心配される浅野と板倉がドーハでの合宿に合流
故障の回復が心配される浅野と板倉がドーハでの合宿に合流

現地で聞く…浅野と板倉が負った故障の本当の回復度合い

68日ぶりに果たしたブンデスリーガへの復帰を、大きな手応えに変えてカタール入りした板倉とは異なり、浅野は実戦のピッチへ戻れないまま森保ジャパンに合流した。
 浅野が右膝内側側副じん帯断裂の大怪我を負ったのは、板倉が戦列を離れる2日前、9月10日のシャルケ04とのブンデスリーガ1部第6節のキックオフ直後だった。
 ボーフムのトーマス・レッシュ監督(54)が「ベンチ入りもありうる」と語っていた、12日のアウグスブルク戦で浅野は登録外となった。しかし、28歳の誕生日だった10日には全体練習に合流。試合に出られる状態を整えたなかで、無理をさせたくないとチームの方針が変わった。
 右膝に大怪我を負った瞬間に、浅野は「ここで、か」と心のなかで天を仰いだと明かした。検査結果が出るまでも、ネガティブな感情ばかりが脳裏を駆けめぐっていた。
「サッカーの神様は、そう簡単には僕をいい方向に行かせてくれないと感じていました」
 サッカーの神様の話を切り出したのは、4年半前の悔しい経験があるからだ。
 ロシアW杯出場を決めていた日本代表で、開幕を約2ヵ月後に控えた段階で指揮官が代わった。浅野らを重用していたヴァイッド・ハリルホジッチ監督が更迭。JFA技術委員長だった西野朗氏が新監督に就任したチームのなかで、浅野の序列は下がっていった。
 壮行試合として5月30日に行われた、ガーナ代表との国際親善試合には27人のメンバーに名を連ねていた浅野だが、翌日に発表されたロシアW杯メンバー23人からは落選してしまう。代わりに打診されたのは、バックアップメンバーとしてのロシア行きだった。
 これを受け入れた浅野は、MF井手口陽介とともに事前合宿からロシアの地までチームに帯同。怪我人や病人が出た場合にメンバーを入れ替えられる最終的な期限となる、コロンビア代表とのグループリーグ初戦の24時間前を持ってバックアップメンバーの役割を終えた。
 日本が2-1で勝利した翌日のコロンビア戦を浅野はスタンドで観戦。会場だったサランスクのモルドヴィア・アリーナのピッチ上で撮った写真を、カタールW杯代表に選出された直後に浅野は自身のインスタグラム(@ asatakugram)へ投稿している。その意図を浅野はこう明かした。
「前回のロシア大会を離れた瞬間から、僕はここ(カタールW杯)しか見ていなかった。いまになってその思いが急に強くなったわけではなく、4年半、常にここしか目指していなかった」

 

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