なぜ長友はコスタリカ戦の敗戦で起きた伊藤ら若手へのバッシングの”壁”になることを宣言したのか…「すべての批判を受ける覚悟」
本田と同じ1986年に生まれた盟友であり、3大会続けてW杯をともに戦ってきた長友はもっと早い段階から、それこそカタール入りする前からある“目的”のもとで動いていた。
ドーハ市内の活動拠点で初めて行われた練習にド派手な金髪姿で臨んだ長友は、ドイツ戦を翌日に控えた練習で今度は赤髪姿に変身。メディアを驚かせ、否が応でも耳目を集めた。
「日の丸の赤と僕の情熱、そしてチームのみんなの情熱が燃え盛っている状態を表現しました」
赤髪の秘密を長友はこう語った。しかし、本当の目的は別の次元にあった。4度のW杯優勝を誇る強豪ドイツを逆転で撃破する、歴史に残る大番狂わせの余韻が色濃く残るハリーファ国際スタジアム内の取材エリア。長友はちょっぴり興奮した口調でこう語っている。
「ここまで派手なことをやってダメだったら、すべての批判を自分が受ける覚悟でやっていました。なので若手には伸び伸びと、何も考えずにプレーしてほしい、という思いも込めていた。かなり頭皮を傷つけたし、おっさんになるときついですけど、赤色にしてよかったと思っています」
短期間で髪を2度も染めた行動の背景には、長友流の恩返しがある。
初めてW杯に臨んだ2010年の南アフリカ大会。左サイドバックとして全4試合に先発フル出場を果たした当時24歳の長友は、ベテラン選手の立ち居振る舞いに救われた。
「当時は中村俊輔さんや中澤佑二さん、川口能活さんたちが『他のことはこっちでやるから、お前たちは自分の仕事に集中しろ』と常に声をかけてくれた。2戦目でオランダに負けた後も『まったく問題ない』とか『次だぞ、次』とポジティブな声をかけてくれてすごく救われたんです」
果たして、岡田武史監督に率いられた日本は、デンマーク代表との第3戦を3-1で快勝。2勝1敗の勝ち点6でグループEを2位で突破した。ベテランの域に入っていた当時の選手たちの言葉を、長友は「ずっと胸に刻まれている」とあらためて感謝しながらこう続けた。
「あのときの光景や感じたものを逆に僕が出す立場になった、と。4大会も続けてW杯を経験させてもらってきたなかで、僕がこのチームに入っている価値を示せるのはいまだ、と」
練習中では誰よりも大きな声を張り上げ、さらに奇抜な姿を介してチームを内側から鼓舞。26人のメンバー中で、初めてW杯に臨む選手が19人を数える森保ジャパンを盛り上げた。
迎えたドイツとの初戦こそ至福の瞬間を共有できたが、続くコスタリカ戦では一敗地にまみれた。直後から伊藤やFW上田綺世(24、セルクル・ブルージュ)ら、初めてW杯のピッチに立った後輩たちが批判にさらされている状況に胸を痛めた長友は、決意を新たにしている。
「始まる前から派手なことをして、何か大きなことも言ってきましたけど、結局、それらを勝利という結果につなげられなかった。最も経験を積んでいて、実際にコスタリカ戦のピッチでプレーしていた僕の雰囲気作りが甘かったのかな、と。責任が一番大きいと感じています」