【独占激白】“熱男”松田宣浩の巨人入り真相…原監督「ムードメーカーじゃない」の言葉と王会長「いいチームに入った」の激励
原監督とは、17年間のプロ野球人生で顔を合わす機会は何度もあったが、話をしたことがなかった。入団記者会見では、原監督は、そのことに触れ「昨今、選手、監督に挨拶を敵にする。オールスターもたびたびあって、彼は僕に挨拶ひとつしなかった。私はその姿に非常にうらやましい選手と感じていた」と語ったが、それは、マッチ流のスタイルだったという。
「原さんは、同じサードで挨拶にいくべき人だったのかもしれないが、接点がないんでね。会釈するくらいだった。それに僕は試合前には、親しいコーチや選手にも挨拶にはいかないんです。勝負ですから。だから昭和の人間だという言葉も、原さんとの会話の中で出てきました」
原監督どころか、侍ジャパンや自主トレで交流のある選手とも、いざグランドに入れば一線を引く。松田が貫く“昭和の勝負師”の姿が原監督には評価されていたのだ。
滋賀出身で高校は岐阜の中京高で大学は亜大。出身地からは、阪神とも中日とも接点がありそうに見えるが、小さい頃は巨人ファンだったという。
当時、「劇空間プロ野球」という日テレ系のナイター中継の番組があって、巨人戦をメインに放映されていたため、自然と巨人のファンになった。
「斎藤雅樹さん、桑田真澄さん、槙原寛己さんの3本柱のイメージが強烈だった時代です。原さんも選手として出ていましたもん」
その3人が揃ってマウンドに立った1994年の中日との10.8決戦もテレビで見た記憶がある。しかし、プロに入ってからは、巨人のイメージも変わった。
「伝統あるチームの重みがありながら、新しい今風の雰囲気もあると、思っていた。憧れがあり、カッコいい。誰もがいけるチームじゃない」
松田の定位置は三塁。今季は一塁も守ったが、巨人の三塁には“不動”の岡本和真、一塁には今季途中から4番に座った中田翔、同じベテランの中島宏之がいて激戦区だ。松田に出場チャンスがあるとすれば。中田が不調時の一塁での先発、あるいは、右の代打、中田や岡本に代走が出た後の守備からの途中出場などに限られそうだが、松田は外野転向を視野に入れている。巨人との交渉過程でフロントサイドから「外野はできないか」の打診があったという。
「2010年に13試合レフトで出ているんです。サード、一塁、代打、ムードメーカーという立場だけじゃなく出場チャンスを広げるために挑戦したい」
2010年にWBCの韓国代表だった李机浩がソフトバンク入りしたため三塁で守備のかぶる松田が13試合レフトを守ったことがあり、無難にこなした。外野手用のグローブは、元チームメイトの柳田悠岐のグローブを本人から新天地での活躍の激励を兼ねてプレゼントされたという。
外野は、丸佳浩だけがセンターの定位置を確保していて、外国人選手としてアダム・ウォーカーだけが残留したが、まだ2枠は確定しているわけではない。松田は「レギュラーを狙うつもりでやるし、準備をする」という。