なぜ元日本代表DF槙野智章は35歳での電撃引退を決断したのか…体力の限界とサッカー版の新庄監督を目指す思い
J1ヴィッセル神戸所属の元日本代表DF槙野智章(35)が24日、今シーズン限りでの現役引退を電撃発表した。生出演した日本テレビ系『Going! Sports&News』の冒頭で「コンディション的にも、以前の自分を取り戻すことができませんでした」と、故障がちで16試合の出場にとどまった今シーズンが決断の引き金になったと明言。その上で「監督をやりたい、という気持ちが強くなってきた」と、以前から目標に掲げてきた指導者への道を本格的に歩み始める決意を示した。
日本テレビ系『Going! Sports&News』に生出演しての電撃発表
日付がクリスマスイブから変わる直前。日本テレビ系『Going! Sports&News』に生出演した槙野が番組の冒頭で、報告したい件があるとスタンドマイクへゆっくり近づいた。
スーツに身を包みながら、神妙な表情で切り出したのは自身の進退だった。
「今シーズンをもちまして、17年プレーしてきたプロサッカー選手を引退したいと思います」
昨年のクリスマスイブには、10年間所属した浦和レッズを涙とともに退団した槙野の神戸移籍が発表されていた。わずか1年で、今度は現役に別れを告げるのはなぜなのか。
リーグ戦の出場がわずか16試合、プレー時間が711分に終わった神戸での今シーズンが、引退を決意する引き金になったと槙野は明かした。
「エンターテイナーとしてたくさんのファン・サポーターを喜ばせる、そして感動させるプレーをこれまでやってきましたけれども、今年1年はそういうプレーができなくなってきました。コンディション的にも、以前の自分を取り戻すことができませんでした」
リーグ戦で最後に先発したのは5月14日のサガン鳥栖戦。フル出場で勝利に貢献するも右ヒラメ筋に全治6週間の肉離れを負うなど、故障禍に悩まされ続け、終盤戦までJ1残留争いを強いられた神戸の力になれなかった現実も決断につながった。そして、苦しんだ過程で、胸中に抱き続けたもうひとつの夢が大きく頭をもたげてきた。
「最後は監督をやりたい、という気持ちが強くなってきたので、こういう決断をしました」
いつかは誰にでも現役に別れを告げる瞬間が訪れる。引退後のセカンドキャリアをどのように設定していくのか。槙野は以前から「監督」の二文字を公言してきた。
例えば浦和退団が発表された昨年11月。プロ野球の日本ハムの新監督に就任したばかりの新庄剛志氏が放っていた存在感に、槙野は目指すべき監督像をダブらせていた。
「あの選手を見たいと思ってスタジアムへ行くファン・サポーターは多いと思いますが、いま新庄剛志さんがプロ野球界を盛り上げているように、あの監督を見にいきたい、あの監督が指揮するチームを見たいと思ってもらえるような監督になりたい」
現役と並行させながら、セカンドキャリアへの準備も進めてきた。
Jクラブで監督を務めるには、日本サッカー協会(JFA)が発行する公認指導者ライセンスのなかで最高位となるS級を取得しなければいけない。しかもC級からB級、A級ジェネラルとライセンスを順次取得し、ようやくS級取得へ向けたスタートラインに立てる。
S級を取得するまでのカリキュラムは、一般的に数年間を要する。そのなかで槙野は、新型コロナウイルス禍で長期中断を強いられていた2020年の前半の段階で、当時オンラインで実施されていたB級コーチ養成講習会を受講していた。その理由をこう語っていた。
「こういう(コロナ禍による中断の)状況だからB級ライセンスの取得をスタートさせた、というわけではありません。自分はサッカーで生きてきた人間なので、引退後に監督になる大きな目標へ向けて、現役のうちにB級までは取得しておきたいと思っていたので」
そして目標へ向けて本格的に歩み始めたいと決断させたのが、ピッチレポーターや解説として現地での取材に携わったFIFAワールドカップ・カタール大会だった。