32歳で旅立った工藤壮人さんを偲ぶ…背番号「9」に込めたプロの矜持…「明日は共に戦おう」
翌2018シーズンは晴れて「9番」をつけ、J2のレノファ山口へ期限付き移籍した2019シーズンは初心に帰る背番号でもある「19」でプレー。2020年の年末に加入が決まったオーストラリアAリーグのブリスベン・ロアーでも、そして今年1月に加入した宮崎でも「9」を背負い続けた。
宮崎で21試合に出場し、3ゴールをマークしていた工藤さんのサッカー人生は、後半38分から途中出場した、9月25日のFC今治戦を最後に途切れてしまった。
あまりにも突然だった工藤さんとの別れに、前出の二村社長はホームページ上で「選手、スタッフ、クラブ一同はまだ気持ちの整理ができない状況もございますが」とショックの大きさを明かした上で、工藤さんへ抱く感謝の思いを続くコメントに凝縮させた。
「工藤選手が宮崎に、クラブに残してくれたものを大切に引き継ぎ、精進して参りたいと思います。そして、工藤選手が信頼してくれたクラブをより良いクラブにすることで、少しでも恩返しして参りたいと思っております。工藤選手、テゲバジャーロ宮崎に来てくれて、力になってくれて、本当にありがとうございました」
古巣の柏は公式ツイッター(@REYSOL_Official)で、「15年間広報をさせてもらってきて一番辛い仕事です。心よりご冥福をお祈りします」とツイートした。まだ32歳。これからも「9番」に込めた意義を追いかけ続けていくはずだった工藤さんの急死に、日本サッカー界に関わってきた誰もが深い悲しみと大きなショックを受けている。
広島も公式ツイッター(@sanfrecce_SFC)で「言葉が出ません。謹んでご冥福をお祈りします」とツイートした。その数時間前の21日夕方には、在籍時に工藤さんが背負った「50」と「9」のユニホームを国立競技場のベンチにかけた写真をアップ。その上でこうつぶやいていた。
「明日は共に戦おう、工藤」
訃報が届く前に送ったエールを、かつての盟友に優勝を報告する決意に変えて、広島は22日午後1時5分に国立競技場でキックオフを迎える、セレッソ大阪のとのルヴァンカップ決勝に臨む。
(文責・藤江直人/スポーツライター)