“BIGBOSS”新庄の前で打撃投手を務めた元日ハム斎藤佑樹さんが現役最後に挑戦していた画期的試みとは…肘にメスを入れない治療法
プロ野球のキャンプがいよいよ終盤に突入している。沖縄キャンプでは日ハムのBIGBOSSこと新庄剛志氏が話題を独占していたが、昨年限りで引退した斎藤佑樹さん(33)が、その名護キャンプを訪れて打撃投手を務め67球を後輩に向けて投じた。私はニュース映像で見ただけだが、斎藤さんが肘を気にすることなく投げていたことに安堵感を抱いた。
トミー・ジョン手術と対極の保存療法
斎藤さんは、現役時代の一昨年10月に右ひじの内側側副靱帯を完全断裂した。だが、彼は、復帰に1年以上を要する肘内側側副靱帯再建術、いわゆるトミー・ジョン手術を回避し、保存療法での復帰を目指した。これは球界では新たなチャレンジだった。昨年のキャンプの初日にブルペンに入ると、いきなり200球を投げて、周囲を驚かせた。初日に彼がブルペンで投げる姿を誰も想像していなかった。彼が現役最後の年に挑んだ画期的な復活手段とは何だったのか。彼が球界に残した貴重な財産とは何だったのか。
その話に行く前に少々時を遡らせてもらう。
1974年7月17日、ホームで行われた対エクスポズ戦。投げた瞬間に感じた左肘の痛みが、「これまでとは違う」と直感したトミー・ジョン(当時ドジャース)は、ダグアウトに戻るとすぐ、チームドクターであるフランク・ジョーブ博士に「連絡をとってくれ」とトレーナーに伝えた。 検査後、友人としての付き合いもあったジョーブ博士からは、「靭帯を断裂している」と告げられたという。当時であればそれは、引退勧告に等しかった。
ただその際、「もう、投げられないだろう。手術をしなければーー」とジョーブ博士は、一つの条件を口にした。
「右腕の前腕から靭帯を取り出し、左肘に移植する」
ジョンは、ジョーブ博士からそう説明を受けたと、2012年春に受けたインタビュー(CNN Tommy John accepts role in baseball and medical history)で振り返る。
今では広く知られた靭帯の再建手術だが、もちろん、当時は誰も受けたことがなく、どんなリハビリ が必要で、復帰までどれくらいかかるのか。前例がないだけに、想定されるリスクそのものもはっきりしなかった。かといって、どのインタビューをたどってみても、ジョンが、「二の足を踏んだ」、「ちゅうちょした」と話した記録はない。
事実としては、こんな対照的な言葉が残る。
「それしかなかった」