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岡山学芸館が東山に3-1で勝利して初の全国制覇を果たした。岡山県勢としても初だ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
岡山学芸館が東山に3-1で勝利して初の全国制覇を果たした。岡山県勢としても初だ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

なぜJユース出身者もJ内定者もゼロの”無印集団”岡山学芸館が初の全国制覇を成し遂げたのか?

第101回全国高校サッカー選手権の決勝が9日に国立競技場で行われ、岡山学芸館(岡山)が3-1で東山(京都)を撃破し、岡山県勢初の全国制覇を達成した。前半終了間際に追いつかれた岡山学芸館だったが、後半7分と40分にMF木村匡吾(3年)が連続ゴールを決めて東山を突き放した。決勝戦に出場した13人の選手で、Jクラブのジュニアユース出身者はゼロ。年代別の日本代表も卒業後のプロ内定者もいない“無印軍団”は、なぜ全国3883校の頂点に立てたのか?

平清孝ゼネラルアドバイザーと長瀬亮昌トレーナーの指導で変貌

 

 めったに見られない光景だった。悲願の選手権制覇を告げる主審の笛が鳴り響いた直後。岡山学芸館の選手たちが次々に国立競技場のピッチに仰向けになった。喜びを爆発させる前に体中の力が抜けた。精も根も尽き果てるまで走り回った証だった。
 倒れ込んだ一人、キャプテンのDF井上斗嵩(つかさ、3年)は両手で顔を覆って号泣した。脳裏には高校3年間の喜怒哀楽が駆けめぐっていた。
「この最高のチームで、みんなで笑って終えることができたので。試合が終わった瞬間に心がホッとしたというか、そう思ったら泣き崩れてしまいました」
 昨夏を境に岡山学芸館は大きな変貌を遂げた。
 プリンスリーグ中国の前半戦を3勝6分けと勝ち切れないままターン。インターハイでは2年連続でベスト8へ進みながら準々決勝で帝京(東京)に敗れたチームへ、昨春に就任したばかりの平清孝ゼネラルアドバイザー(68)が諭すように語りかけた。
「特にプリンスリーグで引き分けが多かったので、いまは巧さだけで強さがないと。巧いチームは途中で負けるけど、巧くて強いチームは勝ち残るんだよ、と」
 監督および総監督として東海大福岡(旧・東海大五)を45年間にわたって指導。岡山学芸館を率いる高原良明監督(43)も教え子の一人である平アドバイザーは、目の前にいる選手たちを否定したわけではなかった。むしろ変わりつつあると前を向かせた。
 おりしも自身と同時期に招へいされた、トレーナーの長瀬亮昌氏による指導の効果が出始めていた。週4回のフィジカルトレーニングと、一日5食がノルマとして課された増量作戦で筋力が飛躍的にアップ。決勝でベンチ入りした20人の平均身長は約173cmだったが、平アドバイザーは「山椒は小粒でぴりりと辛い、ということです」と目を細めた。
「みんな胸筋がすごくなったし、筋力のアップが持久力にもつながっていた。小さくても当たり負けしなくなったし、自分たちは強い、という気持ちのプラスアルファですごく走れるようになった。逆に相手は倒されるたびに体力を消耗する。これは夏過ぎから一気にいく、と。大人もそうですけど、特に高校生は褒めたら顔色が変わってきますからね」
 岡山学芸館の創部は1988年。東海大を卒業した高原氏が2005年の岡山国体へ向けた強化選手として県に招かれ、岡山学芸館に就職したのが2003年だった。地域リーグ時代のファジアーノ岡山に所属しながら、コーチとして指導を始めた当時をこう振り返る。
「国立の舞台に立つのも夢なら、日本一になるなんて夢のまた夢でした」
 岡山国体後に保健体育の教員職に専念し、2008年には監督に就任した。選手権の舞台に初めて立ったのは2016年度大会。以来、今大会で5度目の出場を果たし、作陽と玉野光南の二強時代が続いていた岡山県の勢力争いに新たなページを加えた。
 プリンスリーグ中国にも2016年から定着。2019年には初優勝を果たし、選手寮や人工芝グラウンドなどのハード面も整えられた岡山学芸館は、高原監督の情熱的な指導とも相まって、全国を目指す中学生たちが進学を希望する高校のひとつになった。

 

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