なぜJユース出身者もJ内定者もゼロの”無印集団”岡山学芸館が初の全国制覇を成し遂げたのか?
たとえば今年度の部員数は135人。最上級生から順に38人、46人、51人を数える部員数は、門を叩く中学生が確実に増えている証となる。しかし、全国の舞台でなかなか壁を越えられない。選手権の最高位は2度目の出場だった2018年度大会のベスト16。前回大会も2回戦で高川学園(山口)に敗れた。このとき、高原監督は改革を決心した。
自身の指導には、メンタル面とフィジカル面で足りない部分があったと反省した。その上で東海大福岡を退職する恩師の平氏を迎えて前者の、アスレティックトレーナーとして関西を中心に幅広く活躍していた長瀬氏を迎えて後者の改革を託した。
決勝戦のヒーロー、木村の言葉が心身両面の変化を物語る。
「平さんには『もっと賢くなれ』とか『頭が堅い』とよく言われました。いまではピッチを幅広く見るように心がけていますし、守備面では褒めてくれます」
ボランチながら果敢に最前線へ飛び出し、後半7分に先発陣で最小兵となる身長165cm体重63kgの体で目いっぱいジャンプ。左サイドからのクロスに頭を合わせて勝ち越し弾を奪えば、同40分には右サイドからのロングスローがファーサイドへ流れてきたところへ右足を一閃。東山の反撃ムードに水を差す、勝利を決定づけるダメ押しの3点目を決めた。
衰え知らずのスタミナの源泉を、木村は笑顔で振り返った。
「セカンドボールに対する出足の速さなどの面で成果が出ているというか、瞬発力が少し上がったのかなと思っています。最初のころはつらかったけど、いま思えばフィジカルトレーニングをやっていて本当によかった、というのがありますね」
巧さと強さが融合された結果として、数的優位を作り出して相手ボールを奪うや素早く縦へ運び、FW今井拓人(3年)を起点に多彩なコンビネーションで攻めるスタイルがよりスケールを増した。それでも高原監督は、試合後の会見でこんな言葉を紡いだ。
「それぞれのチームに優秀な選手がいるなかで、ウチには(年代別の)日本代表経験がある選手もいないですし、中学生年代のジュニアユースのチームでは2番手、3番手ぐらいだった子も多い。そのなかでもサッカーは個人ではなくチームのスポーツなので、ひとつになって戦えばどんな強敵でも倒せると証明してくれたと思っています」
年代別の日本代表に招集された選手だけではない。卒業後のJクラブ入りが内定している選手もいなければ、途中交代を含めて決勝のピッチに立った計13人のうち、中学生時代にJクラブのジュニアユースチームでプレーした選手もいない。
対照的に東山の「10番」を背負うMF阪田澪哉(れいや、3年)は大会後のセレッソ大阪入りが内定。先発陣にはJクラブのジュニアユース出身者7人が名を連ねた。準決勝でPK戦の末に退けた神村学園(鹿児島)も、ドイツのボルシアMG入りするFW福田師王(しおう、3年)とセレッソ入りするMF大迫塁(3年)の両エースを擁していた。