ついに野球殿堂入りした元阪神“最強助っ人”バース氏が岡田阪神の“アレ”に熱烈エール…1985年の“日本一監督”吉田義男氏が明かした秘話とは?
第2戦で初勝利をあげた阪神は、移動日をはさんで甲子園で巨人との3連戦に臨んだ。初戦を勝って迎えた4月17日。伝説のバックスクリーン3連発が生まれる。
1-3と2点を追う7回裏。二死一、二塁から巨人の先発、槙原寛己氏が投じた初球をバース氏がバックスクリーンへ叩き込む。一気に逆転した興奮と熱狂が覚めやらないなかで4番の掛布氏、5番の岡田氏もバックスクリーンへアーチを架けた。
前の打席まで15打数2安打、本塁打0と絶不調だったバース氏は一転して5試合連続本塁打と大爆発。掛布氏が40発、岡田氏が35発、さらに1番の真弓氏が34発と最強カルテットだけで163本塁打をマークした猛虎打線をけん引した。吉田氏が続ける。
「そのカードで巨人に3連勝したことが大きな自信になりました。あの年は阪神と広島、巨人の三つ巴でしたけど、絶えずランディがけん引者になって先手、先手を取ってペナントレースを勝っていった。日本一もランディがいなかったらありえませんでした」
西武との日本シリーズでも初戦から3試合連続本塁打。翌1986年にも三冠王を獲得し、特に打率.389はいまもNPB記録となっている。さらにこの年の6月18日のヤクルト戦から26日の巨人戦にかけて7試合連続本塁打をマーク。王貞治氏が持っていたNPB記録に並んだ、江川卓氏から放った場外弾をバース氏はメッセージのなかでこう振り返った。
「ファンのみなさんはバックスクリーン3連発を覚えていただいていると思います。それもそうですが、私にとって一番印象深かったのは後楽園で打った場外ホームランです」
1988年6月に阪神を退団。日米の複数の球団が獲得に動いたと報じられたなかで、この年をもって34歳の若さで現役に別れを告げた。その後は牧場を経営しながら、生まれ故郷のオクラホマ州ロートン市の市議会議員や、2004年からは4期16年にわたって同州議会上院議員を務めた第2の人生を、バース氏はメッセージのなかでこう振り返っている。
「野球とは違う世界で仕事をすることができて、いい経験になりました」
日本の野球殿堂においては、NPBの現役引退から5年以上が経過し、その後の15年間が選考対象となる競技者表彰のプレーヤー表彰で2004年に202票を獲得した。しかし、当選ラインに届かずに一度資格を失い、2013年にエキスパート表彰で候補入りした。