なぜW杯で不完全燃焼の久保建英はレアル・ソシエダで覚醒したのか…スペイン地元紙は「並外れた存在」と評価
利き足の左足から放たれた低く、鋭い一撃をシモンは見送るだけだった。
今シーズン3ゴール目。W杯カタール大会による中断からリーグ戦が再開されて3試合目で初めてネットを揺らした一撃を、久保は会心の表情を浮かべながら振り返った。
「本当にすべてが狙い通りにいきました」
1カ月ちょっと前。久保は不完全燃焼の思いを胸中に抱いていた。
サッカー人生で初めて臨んだW杯。自信を持って乗り込んだカタールの地で待っていたのは、ともに前半だけの出場に終わったグループステージのドイツ、スペイン両代表戦と、体調不良で欠場したクロアチア代表との決勝トーナメント1回戦だった。
昨夏に加入したソシエダで、2トップの一角として新たな居場所を築きながら順調なスタートを切った。ゆえに久保はカタール大会へこんな青写真を描いていた。
「いまの状態ならば、自分を押し通せるくらいの個の力があるだろう、と。周囲からも認めてもらえるだろうと思っていました」
しかし、実際にふたを開けてみればドイツ戦も、そしてスペイン戦も前半はボール保持率で大きく後塵を拝した。自陣で守備に忙殺される時間が続いた展開で、個の力を出す余裕すら与えられなかった。さらにクロアチア戦の直前に高熱でダウン。チームの力になれなかった大会を、久保は「半分は黒歴史みたいなW杯でした」と自虐的に振り返っている。
「よく言えばチームのために戦えたけど、悪く言えば自分のやりたいプレーができなかった。チームのタスクを実践しながら、もっと自分のプレーができると思っていたけど、そこまでの個の力がなかった。自分の見積もりが甘かったというか、勘違いしていた」
もちろん、うなだれているばかりではない。捲土重来を期すための処方箋も、PK戦の末にクロアチアに屈した翌日の段階で久保はすでに思い描いていた。
「圧倒的な個の力がないと、厳しいものがあると思い知らされた。次のW杯で僕は25歳になっている。25歳ならば代表の中核になっている選手がどこの国にもいる。自分がそういった存在になれるように、大事なのは結果だと思って頑張っていきたい」
幸いにも久保には、帰るべき最高の場所があった。
FC東京からレアル・マドリードへ加入したのが2019年6月。EU圏外枠の問題もあって、久保はマジョルカ、ビジャレアルとヘタフェ、再びマジョルカと期限付き移籍を繰り返してきた。ラ・リーガ1部の舞台で武者修行を積む目的も込められていたなかで、久保は「シーズンごとにプレー環境を変えるのが辛かった」と苦悩も抱くようになった。
スペインで4年目となる今シーズン。勝負をかけるためにもレアル・マドリードと決別する決意を固めた久保が選んだのは、ソシエダへの完全移籍だった。