なぜ”ツネ様”宮本恒靖氏が日本サッカー協会のナンバー3に抜擢されたのか…その意味するところを解く
2015シーズンからガンバのアカデミーコーチングスタッフに就任。U-13チームのコーチをまず務めた理由を、当時38歳だった宮本氏はこう振り返っている。
「自分の経験という強みを、あのタイミングで生かせるものは何かと考えていました。選手を辞めて間もないなかで伝えられることもたくさんあると思っていましたし、以前から指導者にもチャレンジしたかった。もちろんFIFAマスターで学んだもの、見たものも大事にしながら、それだけにとらわれずにいろいろな可能性を探りたいと」
ユースとU-23チームの監督、トップチームコーチを経て2018年7月にはガンバの監督に就任。3年目の2020シーズンこそリーグ戦で2位、天皇杯では準優勝の好成績を残したが、翌2021シーズンは開幕からつまずいたまま5月に解任された。
捲土重来を期す上での動向が注目されたなかで、宮本氏は昨年3月にJFA理事に就任した。同時に国際委員会の委員長として堪能な英語を生かすとともに、新設された会長補佐も兼任した。異例の人事には田嶋会長の意向が強く反映されていたとされる。
意向とは要するに、宮本氏をごく近い将来のJFA幹部候補として育てていく点に他ならない。常勤の理事および会長補佐として組織運営を学んできたところへ、還暦前にもう一度ビジネスの世界で勝負したい、と望んだ須原専務理事の退任が重なった。
当初の青写真よりも早まったものの、宮本氏をして「より責任の重い立場」と言わしめた専務理事への推挙は既定路線だったと言っていい。そして、ナンバー3の要職就任を受諾した宮本氏自身も、年齢的にもまだまだ可能性がある指導者としての現場復帰よりも、JFAという巨大組織の実務面を取り仕切っていく覚悟と決意を新たにした形になる。
自身の子どもが通うサッカークラブの練習見学が縁で初めてサッカーに携わった須原専務理事は、熱意が高じて取得した4級審判員資格を介してJFAとも接点を持った。専務理事を務めた自身のもとで尽力してくれたJFA職員を「本当によく頑張ってくれた」とねぎらうとともに、宮本専務理事のもとで目指していくJFAの未来をこう語った。
「ピッチ上のパフォーマンスと事務方を含めたピッチ以外のパフォーマンスの両方が、世界基準になっていく必要性がより高まっている。ピッチ上においては、カタール大会で選手たちが躍動してくれた。それに合わせて事務方も世界レベルになっていかなければいけない。マネジメント、マーケティング、あるいはガバナンスでさらに高みを目指していくためには若い力が絶対に必要です。宮本専務理事を中心とした若い力に大いに期待していきたい」
歴代のJFA専務理事を振り返れば、田嶋会長も原博実氏(64、現大宮アルディージャフットボール本部長)も日本代表キャップを持っている。後者は浦和レッズとFC東京で監督も務めた。しかし、代表キャップと監督歴に加えて代表でキャプテンを務め、W杯のヒノキ舞台で戦い、海外クラブでプレーした経験をも持つのは宮本氏が初めてとなる。
須原専務理事が退任を表明した直後の昨年末。後任を問われた田嶋会長は、専務理事職を「非常に重要です」と位置づけた上で、こんな言葉を紡いでいる。
「専務理事というのは(JFAの)顔だと思っています」
最後となる4期目を迎え、任期が来年3月に切れる田嶋会長から“顔”に指名された宮本氏を巡る人事には、将来的な会長候補への期待も込められていると言っていい。正式就任直後に46歳になる宮本氏は、2月に常勤理事、3月末までは非常勤理事としてJFAに残る須原氏から、専務理事の各種仕事を含めた経営面のノウハウを伝授される予定だ。
(文責・藤江直人/スポーツライター)