なぜW杯代表落ちのセルティック古橋亨梧が欧州での歴代日本人最多得点記録を更新したのか?
屈強な大男が集うスコットランドのDF陣を、身長170cm体重63kgの体に卓越したスピードとクイックネスを搭載する古橋が翻弄している跡が伝わってくる。セントジョンストン戦で決めたゴールも、テイラーが舌を巻いた“ネズミ”を連想させる動きから生まれた。
昨年11月1日。自らの名前が読み上げられなかった、W杯カタール大会に臨む日本代表メンバー発表を伝えるライブ配信を自宅で起床した直後に視聴した。
翌日2日にはレアル・マドリードのホーム、サンティアゴ・ベルナベウに乗り込むUEFAチャンピオンズリーグのグループステージ最終戦が待っていた。仲間たちが気づかってくれるなかで抱いた思いを、古橋はスコットランドメディアの『Glasgow Live』に語っていた。
「いつまでも落ち込んでいるのは利己的だし、チームに迷惑もかける。僕のモットーは笑顔なので、みんなには『心配しないで』と言い続け、何とか笑顔を保とうとしました」
子どものころからW杯の舞台を夢見てきた。J2のFC岐阜からヴィッセル神戸に移籍した2018年夏。チームメイトになったスペインの至宝、アンドレス・イニエスタから「もっと自信を持って、君のよさを出していいよ」と背中を押され、神戸でゴールを量産し始めていた2019年11月。ベネズエラ代表との国際親善試合に臨む森保ジャパンのメンバーに初めて選出された。
その瞬間に夢がカタール大会でかなえるべき目標へと変わり、2021年夏のセルティック移籍につながったと、古橋は前出の『Glasgow Live』に語っている。
「海外でいいプレーをすれば、その延長線上にW杯があると考えていました。ただ、僕は十分な結果を残せませんでした。日本代表でプレーする機会は与えられましたけど、ゴールを決めるという部分で違いを生み出すことができませんでした」
セルティックでの1年目は怪我で長期離脱を強いられながらも、プレミアシップで得点王に1差の12ゴールをマーク。カップ戦を合わせた二冠獲得に貢献し、年間ベストイレブンにも選出された。今シーズンもW杯メンバー発表までに8ゴールを叩き出した。
しかし、代表では思うような結果を出せなかった。アメリカ、エクアドル両代表との国際親善試合を終えた昨年9月の時点で16試合に出場して3ゴール。それでも、挑み続けた過程に対して古橋は「自分の選んだ道に後悔はありません」と言い切っている。
「振り返れば、ロシアでW杯が開催されたとき、僕はJ2の岐阜でプレーしていました。当時は4年後にこのような状況になっているとは想像もできませんでした。現時点で4年後のことは考えられませんが、次の大会に選ばれる選手に成長したいという思いはあります」