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東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦はドロー。左が渡辺卓也、右が森武蔵
東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦はドロー。左が渡辺卓也、右が森武蔵

井岡一翔は号泣した“愛弟子”森武蔵の東洋太平洋王座決定戦のドローに何を思ったか…新王者は誕生せず再戦へ

 武蔵は鬼神のようだった。
 2年前に当時のOPBF東洋太平洋フェザー級王者の清水聡(大橋)との王座統一戦に判定で敗れた際は、前へいくか、ボクシングをするか、に迷った末、判定で敗れた。
「清水戦では躊躇してポイントを取られて負けた。向こうがそれ(接近戦)でくるなら打ち合ってやれ」
 引退まで考えたプロ初黒星である。
 だから最後まで前へ出た。
 ジャッジは、勝負の4ラウンドのうち10、11、12ラウンドの3つを森につけた。森が、追い上げてドローに持ち込んだ結果となったが、渡辺は、「要所、要素でボディとかアッパーは当てていたんでポイントになったと思った。9、10までは取っていたかなと。11は手数も減ったので相手にふられたかもしれないが(2ポイント差を守って)いけたんじゃないか、という気持ちがあった」と、判定に不服だった。
 武蔵は、佐々木トレーナーの指示に感謝した。
「指示を無視して組み立て直していたら負けていた。あそこから(中間距離で)ポイントを奪い返す力はなかった。陣営がクビの皮一枚つなげてくれた」

 リングサイドの最前列には14年ぶりに後楽園ホールに足を踏み入れたという井岡が、ファミリーで見守っていた。武蔵が師と仰ぎ、清水に負けた後にジムの移籍を決意した元4階級制覇王者である。
「相手も武蔵のことを研究してきた。キャリアというより体格差、リーチ差を生かしてきて、ノーモーションで打ってきたし、ブロックもしっかりしていた。正直、最初の4ラウンドは、武蔵が取っていたと思ったけど、意外な採点(2人が38―38で1人が37-39)が出て、追いかける展開になって武蔵も焦ったと思う。でも、あの展開からよく頑張った。普通は、8ラウンドの2ポイント差からドローには持っていけない」
 逆襲からドローに持ち込んだ後輩のファイトを称えた。
 当初、武蔵のタイトル挑戦は年末年始にかけて計画されていた。だが、昨年秋の井岡の米国合宿に合流した際に、スパーリングで脇腹を骨折して延期を余儀なくされた。それでも、武蔵は最後まで米国に居残ってストイックなまでに追いつめる井岡の流儀を近くで学んだ。
「井岡さんは一切妥協をしない。学ぶ点が多かった。僕も練習にしても、私生活にしても、ボクシングに嘘をつかずにやっている。歩んでいる道に後悔はない」
 彼女もいないし趣味もない。23歳の青春をボクシングのためだけに捧げて、正月にも熊本の実家に帰らなかった。たった一人でアパートで正月を過ごす、そんな武蔵を井岡は不憫に思い、自宅に呼んで夫人がおせち料理をふるまった。武蔵は、その元4階級制覇王者の優しさに恩返しするためにもベルト獲得を誓ったが、ドローに終わり、控室で井岡の顔を見た途端にまた涙があふれた。
「勝てなくてすみませんでした」
 そう言うと井岡は、自らも大晦日のジョシュア・フランコ(米国)との統一戦がドローに終わっていたことを引き合いに出して「俺の背中を見過ぎたやろ?」と言って泣いている武蔵に笑顔を戻させた。

 

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