なぜ重岡兄弟は試練を乗り越えボクシング界初の偉業を達成できたのか…熊本地震と支え合う兄弟愛…さらなる問題も発生
プロボクシングで史上初の快挙が達成された。ミニマム級のダブル世界戦が16日、代々木第二体育館で行われ、IBF世界ミニマム級暫定王座決定戦では弟の重岡銀次朗(23、ワタナベ)が元同級王者のレネ・マーク・クアルト(26、フィリピン)に9回TKO勝ち、WBC世界同暫定王座決定戦では兄の重岡優大(26、同)が元WBO世界同級王者のウィルフレド・メンデス(26、プエルトリコ)を7回KOで破り、2人とも同じく左ボディのフィニッシュブローで、史上初となる同日、同階級での兄弟世界王者誕生の偉業を成し遂げた。国内では今大会のプロモーターを務めた亀田興毅氏、大毅氏、現在も現役の和毅(TMK)の3兄弟、元バンタム級の4団体統一王者の井上尚弥、拓真(大橋)に続く3組目となる。
2人共に必殺の左ボディブローでTKO、KO決着
世界でたった一つの夢を実現した。
代々木第2体育館のリング上に重岡兄弟が揃って違う色の世界ベルトを腰に巻いて立った。
「これまで弟にだけは直接お礼を言ったことがない。20年間、一緒に格闘技をやってきた。こいつが横にいないと、今、ここに立っていない」
兄の優大がマイクを持って熱弁をふるう。
弟の銀次朗は、「それを聞いて泣きそうになった。今回、お互いを本当に支えあった」という。デンマークのジョニー&ジミー・ブレダル兄弟が、1992年9月4日に同日で世界奪取に成功した例があるが、兄のジミーがWBO世界スーパーフェザーで、ジョニーがWBO世界スーパーフライ級で階級が違い、同日、同階級の兄弟世界王者誕生は世界初の偉業だった。
代々木第2の“伝説の夜”は、銀次朗の逆転劇から始まった。1ラウンドに右ストレートをまともに食らい、まさかのダウンを喫した。減量に失敗していたクアルトは、長期戦は不利になると考え、早期決着を仕掛け、最初からエンジン全開で勝負をかけにきていた。
銀次朗はプロでは10戦目にして初のダウン。
「正直、やらかしたと思った。足にきてはなかったが、多少のダメージはあった。そこまでの焦りはなかった。一発一発のパンチは重たかったが、スピードがなかったので冷静に冷静にと自分に言い聞かせた」
右のジャブから試合を組み立て直す。2ラウンドには、左目をカットさせ、小刻みなステップでリズムをキープしながら右のフック、左のストレートを狙い、6ラウンドには、左ボディを3連発。絶えずプレスをかけていたクアルトの動きが止まった。4発目の左ボディで、クアルトは両ひざをついたが、同時に銀次朗の頭が当たっていて、ダウンかスリップかの判断が難しかったため、レフェリーの中村勝彦が、今回の試合から導入された映像によるリプレーで検証する「ビデオ・テスティング・システム(VTS)」の適用で「スリップ」と判断された。
クアルト陣営は声をあげて喜んだが、銀次朗は「左ボディを嫌がったそぶりを見せた。効き始めたと思った。ボディなら倒せると。左ストレートもうまく使いながら、やばいパンチもらわなきゃいける」と勝利を確信した。
「カギになるのはジャブと左ボディだと考えていた」
左ボディは銀次朗のフィニッシュブローである。ボディアッパーでもなく、少し体の位置をずらした位置から横殴りに打ち込む独特の角度のある必殺のボディブロー。本人は、「自然に感覚だけで打っている」と言うが、上にパンチを散らしてから、放つので完全に対戦相手の視界から消える。
7ラウンドに、その左ボディで正式にダウンを奪い、9ラウンドにまた左ボディで2度のダウン。コーナーに背をつけて座り込んだクアルトは、立ち上がりはしたが、ファイティングポーズを取れずに中村レフェリーがテンカウントを数えた。銀次朗は、ニュートラルコーナーへ駆け上がって両手を広げしばらく天を仰いだ。
「4月16日は、何が何でも世界をとって皆さんに笑顔を届けるつもりだった。今は、ホッとしている。熊本で小さい頃から世界ベルトを獲るという夢をもって兄貴と2人でがんばってきた。むちゃくちゃうれしいです」