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重岡兄弟が世界初の偉業を達成した。左が兄の優大、右が弟の銀次朗(©︎3150FIGHT)
重岡兄弟が世界初の偉業を達成した。左が兄の優大、右が弟の銀次朗(©︎3150FIGHT)

なぜ重岡兄弟は試練を乗り越えボクシング界初の偉業を達成できたのか…熊本地震と支え合う兄弟愛…さらなる問題も発生

 優大が「2人が揃えば最強」と言えば、銀次朗が「2人で支えあえば何でもできる」と言う。2人は故郷の熊本で幼い頃から父のスパルタ教育で鍛えあげられた。兄曰く「亀田史郎さんのような父親でテレビで見ていた亀田3兄弟をお手本にしていた」で、興毅氏を真似て小、中まで丸刈りだったという。自宅の車庫にサンドバッグを吊り下げ、週に一度は、一般のトレーニング施設に通い、手押し車などの血みどろの特訓。兄は、うさぎ跳びのノルマが激しすぎて、左ひざが壊れて手術したほど。
「心の底からこれで世界王者になれなかったらやばい」と思う日々を過ごして、弟は、熊本の開新高で5冠、兄は開新高―拓大でアマ5冠、先にプロ入りした弟が、WBOアジアパシフィックミニマム級、日本ミニマム級王座を獲得すると、東京五輪出場を断念して、後からプロ入りした兄も、弟が返上した2つのタイトルを継承した。そして、ついにずっと願っていた兄弟世界王者の夢を果たしたのである。
 4月16日は兄弟にとって特別な日だった。
 熊本を襲った悲劇の大地震からちょうど7年。
 2人の記憶は鮮明だ。当時、銀次朗は、熊本で暮らしていて家族で被災。水も電気もストップした中で、5日間の車中泊を余儀なくされ、余震の恐怖にに怯えた。兄は、当時、拓大の学生で東京にいたが、翌日にすぐに福岡経由で水や食料などを確保して実家へ帰り救援物質を届けたという。まだ地元に被害の爪痕は残り、何より、この日が巡ってくると、人々の心に残った辛い思い出が蘇る。だから、2人は「少しでも明るいニュースを届けたい」と誓っていた。
 リング上で優大が言った。
「ここがゴールじゃない、むしろここからがスタート、ここから強くなっていかねばならない」
 銀次朗も兄の言葉に賛同した。
「兄貴との夢は叶えたが、もっと大きくなりたいし強くなりたい。2人でボクシング界盛り上げるつもり。まだまだ強い奴と戦って目立っていきたい」
 まだ夢の途中。2人の次なる目標は決まっている。正規王者との統一戦だ。優大が「もっとボコボコ、バチバチにやってやる」と言えば、銀次朗も「あの日の屈辱を返すとかじゃなくて、早くこの階級で一番を証明したい。自信はある」と早くも戦闘モード。亀田興毅氏は、正規王者との統一戦を8月11日に大阪で行われる 「3150FIGHT Vol.6」 で同時開催したい方向だが、両正規王者共に自国開催を主張しており、一筋縄にはいきそうにない。
 WBC正規王者のプラダブスリは、これまで自国のタイを出て国外で防衛戦を行ったことがなく、タイでの開催を主張。一方のバラダレスもメキシコでの開催を要望している。
 渡辺均会長は「統一戦もできれば同時に開催したい。ただ相手は2人共に自国でやりたがっており、最終的には入札になるかもしれない。そこはプロモーターの亀田興毅さんにお願いするしかない」と不安気だ。
 今回、両王者共に一度は来日を決意したのは、高額なファイトマネーと共にオプションと言われる興行権を持っているため、たとえ重岡兄弟に負けたとしても興行権を売れるためビジネス面でのうま味があったためだ。
 しかし、統一戦ではルール上、その興行権が発生しないため、よほどの高額ファイトマネーを積まない限り来日には合意しないと考えられている。そうなると最終的には入札での決定になる予定で、先行きはまったく不透明。 
 ただ場所や日時がいつどこになろうが、2人には「正規王者をぶっ倒す」というぶれない思いがあり、その先にさらなる野望もある。
「兄弟で4団体を統一する」との壮大な構想。
 重岡兄弟が力を合わせれば不可能はないのかもしれない。

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