なぜ”ミライモンスター”松本圭佑は史上初の父子同階級の日本フェザー級王座を獲得できたのか…井上尚弥ら「チーム大橋」の結束
タイトル初挑戦が決まると、2月に10日間、志成ジムの野木トレーナーが指導する鹿児島の徳之島での走り込みキャンプに参加した。野木トレーナーが師事したマラソンの名トレーナー故・小出義男氏が、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子らを鍛えた激しいアップダウンのあるコースで、朝の6時から3部練をこなした。急坂の山道や階段もあり、高校時代からのライバルで、5月にOPBF東洋太平洋同級王座に挑戦する堤駿斗(志成)も、その合宿に参加していて、互いに音を上げることはできなかった。
「野木さんの坂道ダッシュの方がきつかった。あの合宿にいっていなければ後半にやられていたと思う」
その10日間の走り込みで作った足腰と無尽蔵のスタミナが支えだった。井上尚弥が7月に延期されたWBC&WBO世界スーパーバンタム級王者スティーブン・フルトン(米国)との試合に向けて招聘したメキシコ人のスパーリングパートナーと拳を交える機会があり、そこで学んだフットワークも「むちゃくちゃ生きた」という。
「練習は嘘をつかない」
最終ラウンドの残り30秒を切ると、大橋陣営から一斉に「ラスト!ラスト!」の声が飛ぶ。激しい打撃戦のさなかにゴング。
なぜか松本は無表情。佐川は鼻血を流していた。
連続KOは7で止まったが、99-91が2人、98-92が1人のワンサイドの判定での王座奪取。それでもリング上では「疲れすぎて実感がわかない」とインタビューに答えた。ベルトを持って控室に帰ると「いろんな人に祝福の声をかけてもらってやっとジワジワきている。でも“やったあ!よっしゃあ”というより、ホッとした気持ち」と本音を明かした。
佐川は控室でうなだれていた。
「前半は想定内だったが、後半もスタミナが落ちずに動かれた。そこは想定外。できることもできなかった。最後はポイントを取られているのがわかっていたので、倒しにいったが、つかまえることができなかった。強かったです」
東農大の後輩を称えた。
1月にプロ7戦目をKOで飾った松本に大橋会長は「今年は勝負した方がいい。いい相手でないと良さが出てこない」と、阿部麗也(KG大和)が返上したタイトルの挑戦に“GOサイン”を出した。
筆者は、両者の実力は五分五分の「冒険マッチ」だと考えていたが、大橋会長は、「4、5回で終わる実力差がある。楽勝だと思った」という見方をしていた。松本自身も「油断のできない相手との駆け引きの中で本能が引き出される。そういう試合をしたい」と熱望した。
一方父だけは、「まだ課題が残っている。タイトル挑戦はまだ早いのではないか?」と、迷っていたが、会長の決断と何より息子の気持ちを優先した。「たとえ負けたとしても、この試合を目標にして練習したことがプラスになる」と、2人の決断を受け入れた。
それでも、いざ当日を迎えると「人生で最大に緊張した。足手まといにならないことだけを考えた」という。
解説をしていた3階級制覇王者の八重樫東らを育て、エディタウンゼント賞も獲得している名トレーナーの好二氏だが、息子のことになると勝手が違う。井上尚弥、拓真兄弟と、真吾トレーナーの父子の関係性をうらやましく思い、「僕はわが子を谷底に落とせないんです。小さいときに泣き虫で何をやっても続かない息子を守ってやりたいと生きてきた。そのイメージがずっと取れない」と語っていたこともある。
この日の試合中も緊張と心配がマックスとなり声も出ていなかったが、佐久間トレーナーらの「チーム大橋」が、その父の考えを代弁してサポートしてくれた。松本親子がいかにジムの仲間に愛されているかの証拠だろう。
「よくやった。スタミナが切れかけたのは、佐川選手とのキャリアの違いとプレッシャーでの消耗だと思う。佐川選手の追い足がなかったので救われたし、尚弥やたくさんの仲間が駆け付けてくれて力をもらった」
父の目は潤んでいた。