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クボタスピアーズ船橋・東京ベイのスーパールーキー木田(左から3人目)が後半29分に逆転トライを決めて初優勝を牽引(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
クボタスピアーズ船橋・東京ベイのスーパールーキー木田(左から3人目)が後半29分に逆転トライを決めて初優勝を牽引(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

なぜラグビー「リーグワン」で東京ベイが初優勝を飾ることができたのか…南ア名将の“飴と鞭”、そして内外の選手補強の努力

 勝ち越された後にも動揺はなかった。ランとパスで逆襲を狙うのではなく、キックを使ってじっくりチャンスを探ったのだ。立川は、逆転シーンをこう振り返る。
「無理して戦術を変えると、相手の思うつぼになる」
 そもそもキックの攻防については、子細に準備していた。
 大阪府出身の藤原が言う。
「隙を与えずに、ちょうど自分たちのチームが競れるようにせな(蹴らないと)あかん。(長いキックは)なるべくノーバウンドで捕らせない。走らせながらキャッチさせて、(その後の圧力で)蹴り返しやすいようにはさせないように…」
 おかげで、重要局面においてワイルドナイツのエラーを誘えた。かつ、スピアーズの劇的な逆転トライを生んだのである。
 ジャンプで見せたマキシは、「特別なことじゃない。自分たちの強みを出した。(動きを)予測して、その瞬間、やるしかないと思って、プレッシャーをかけた」と淡々。その後、鮮やかなキックパスを繰り出した立川はこう続けた。
「横を見た瞬間に木田が手を挙げていた。僕にくれというオーラを出していた」
 以後、17-15のスコアが動かないままノーサイドを迎えた。ヘッドコーチのルディケは言った。
「ベーシックなことをきっちりとやり切った」

 スピアーズは地道さを文化とする。
 1978年創部。現主将の立川が入った2012年は、ちょうど低迷期にあった。チームは下部地域リーグのトップイーストでプレーしていた。
 秩父宮ラグビー場のような専用競技場だけではなく、船橋市の工場敷地内のグラウンドを公式戦の会場にしたことがあった。そのたびにチームで仮設スタンドを建てた。リーグワンに参入する際、ホスト会場の江戸川陸上競技場にグラウンドレベルの特別なスタンドを作るのだが、スタッフは冗談交じりに言ったものだ。
「僕たち、トップイーストの頃からスタンドを作るのが得意なんですよね」
 強化の土台はトップリーグ時代の2016年に作った。
 南アフリカの名将のルディケをヘッドコーチに招いたのである。
 ルディケは過去、母国の南アフリカでブルズを率いて国際リーグのスーパーラグビーで2度優勝。十分な実績を誇る。スピアーズでは彼の就任当初から勝ちまくったわけではないが、レギュラー、控え選手と分け隔てなく接し「正直なフィードバック」で組織の成長を促してきた。
 普段は温厚なルディケは、飴と鞭の使い分けに長けている。スタッフによると、就任2年目のトップリーグを16チーム中11位で終えた後のシーズン納会で、珍しく激高したという。
「お前たちはこのままでいいのか!」
 机をどんどんと叩き、叫んだ指揮官の姿を、その場にいた選手は覚えている。そのスピーチの直後に、そのシーズン限りで引退する選手達が挨拶をするよう促された。
 先陣を切ることになったのは、現広報の岩爪航だった。
 シーンと静まり返った会場でマイクを持ち、まずは「今の、怖かったね」と場を和ませようとしたが、誰にも笑ってもらえなかった。
 偶然か必然か。その翌年度から、スピアーズが、8強の常連となった 2021年のトップリーグでは、初の4強入り。ラインナップには補強した海外のトップ選手が並んだ。

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