「来年オレがやらんかったら負けるよ」勇退に心が揺れた阪神の岡田監督の壮絶な覚悟の上にあった18年ぶりの歓喜…大阪万博の2025年まで3連覇を目指す
岡田監督は、究極のマイナス思考である。0勝143敗からシーズンを組み立てる。だから「今年はアレはでけへん」と言ったのである。
しかし、その0勝143敗は、横浜DeNAとの開幕カード3連勝で、3勝140敗となり、徐々に岡田監督の中での勝ちと負けが反転していく。
優勝インタビューで「4月から5月、段々と力を付けていくかなと思ったら、5月にすごい勢いで連勝があったんで。その結果が8月から9月の成績と思う」「まさか9月にこんなに強くなるとは思ってなかった。ちょっと勝ち過ぎましたね」とシーズンを振り返ったが、チームは確かに岡田監督の想定を超えて成長を続けた。
小幡の控えだったはずの木浪が恐怖の8番打者となり、谷間の第二先発として用意していた村上が、防御率タイトルでトップに立つまでになった。
岡田監督は、「あまり苦しい時期も本当になかったですね」とも続けたが、実は、その裏には、知られざる壮絶な覚悟ともう一つの戦いがあった。
「あなた…死んでるかと思ったわ」
寝室に起こしにきた陽子夫人が真顔でそう声をかけた。
お盆の暑い日だった。
前夜はヤクルトと5時間16分の激闘を演じて延長12回にサヨナラ勝ちをしていた。就寝は、午前3時を回っていた。いつもは睡眠は浅く6時には目が覚めるが、泥のように眠り、時計を見ると午前11時を過ぎている。心身ともに疲れ果てていたのだろう。65歳の岡田監督に監督という過酷な職業が想像以上に重くのしかかっていた。小型の電動マッサージ機でのふくらはぎのマッサージが欠かせない。タバコの量が増え、試合中にはパイン飴を舐めた。咳が止まらなくなったこともある。
遠征先のホテルでは、試合後に食事会場にも行けず、ルームサービスを届けてもらう機会が増えていた。
「部屋着から(私服に)着替えることがしんどいんよ」
試合が終わり部屋にたどりつくと着替えられないほどにヘトヘトになった。グラウンドに360度、神経を張り巡らせて采配をふるう。朝6時に起きて、アイパッドでファームの試合を見る。イースタンリーグの試合まで目を通すこともあった。極度のストレスと体力の消耗…。岡田監督は、命を削って指揮を執り続けていた。
それももう限界に近づいていた。
8月上旬だった。現役時代から通っていた熟成タンで知られる名店。
「現役の頃は16皿よ」
一皿で十分のボリュームがあるタンだ。岡田監督は2皿目をお替わりした。
お酒はいつも一杯目がビールで、2杯目からは焼酎の水割りになる。
飲む量は、いつもと変わらなかった。基本的に酒は強い。ふと漏らした。
「もしオレが来年やっていたら…」
こうも言った。
「勇退という言葉。ええ響きやなあ」
え? それどういう意味なんですか?辞める気じゃないでしょうね?
岡田監督は返事をしなかった。
優勝を花道に1年でユニホームを脱ぐ…勇退へと心が傾いていた。
阪神は夏のロードで快進撃を演じていた。
岡田監督が「一騎打ちや」と楽しみにしていた広島が脱落。もう敵のいない自らとの戦いに変わりつつあった。進退が心配で岡田監督を評論家時代からのいきつけのバーに誘った。