• HOME
  • 記事
  • 野球
  • なぜ38年ぶり日本一に輝いた阪神の岡田監督は「強かった」とオリックスに敬意を示したのか…11年前の紙切れ1枚の解任通告に「恨みなんかない」
阪神が日本シリーズの第7戦でオリックスを7-1で下して岡田監督が38年ぶりの日本一を達成(資料写真・黒田史夫)
阪神が日本シリーズの第7戦でオリックスを7-1で下して岡田監督が38年ぶりの日本一を達成(資料写真・黒田史夫)

なぜ38年ぶり日本一に輝いた阪神の岡田監督は「強かった」とオリックスに敬意を示したのか…11年前の紙切れ1枚の解任通告に「恨みなんかない」

「もうあのときの人らは、みんなおらんようになったからな」
 宮内氏は、オーナー職を退任、村山本部長は5年前に亡き人となった。
 もう恨みも遺恨も何もない。
「そんなん。恨みなんかないわ。オリックス監督の3年はええ経験になったよ」
 オリックスは、阪神を戦力外となり、窮地に陥った自らを助けてくれた球団である。オリックスというよりも、それは故・仰木彬監督だったのかもしれない。引退後も2軍監督で指導者修行の第一歩を踏ませてくれた。恩義と感謝の思いしかない。
「1年目は、あと1勝で勝率5割、2年目は、あと1勝でCSを逃した。3年目に球団がその気になったんよ。まだそこまでチームに力がなかったのに勘違いしたんや」
 “勘違いの怖さ”を岡田監督は、身を持って知った。
 球団は韓国の至宝のイ・デホを補強し、西武からもFAで許銘傑を獲得するなど、大型補強したことで、その気になっていた。
 だからオリックス監督から数えて11年ぶりに監督復帰した岡田監督は、戦いの中で「勘違いするな」といつも繰り返した。勘違いせずに、自分の役割を知り、相手を研究し、全員がひとつの方向を向いて戦うこと。ときに岡田監督は、それを「普通」という言葉に置き換えた。オリックスでのプリント1枚の解任通告は、恨みなどではなく、岡田監督に勝つための組織のあり方が、どうあるべきか、監督としてのマネジメントで貫くべきことは何かを痛感させたのである。
 岡田監督が優勝インタビューでオリックスに「強かった」と心からの敬意を示し、どこか晴れ晴れとした顔をしていたのは、因縁のオリックスへのリベンジを果たしたという思いではなく、“第2の古巣”への感謝の思いだったのかもしれない。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

関連記事一覧