なぜ朝倉未来はYA-MANに77秒の衝撃TKO負けを喫して“引退”を表明したのか…垣間見えた油断とプレッシャー…RIZIN大晦日のカードは?
5年前の朝倉のRIZINデビュー戦は現地で観戦した。試合前には、SNSや会見でやりあったが、憧れの人へのリスペクトの念を忘れていなかった。会見の中でYA-MANは、「未来さん」と、何度か敬称をつけて呼んだ。
なぜYA-MANはキックルールとはいえ“番狂わせ”を起こすことができたのか?
YA-MANは、2つの理由を口にした。
「油断じゃないですかね。それと重荷。一緒に練習をしていて“いけるでしょ”と思っていたと思う。もし仮に負けたら失うものは得るものよりも大きい。そのプレッシャーと重荷が敗因。みんなが期待しすぎていたんじゃないですか」
キックボクシングは初経験とはいえ、そもそもの階級の違いからくる体格差と距離の差があることから、朝倉はYA-MANを甘く見ていたのかもしれない。
対照的にYA-MANは「死んでもいいやと思って突っ込んだ」という。
「(RISE OFG王者の)ベルトはあるが、相手より失うものは少なかった。死んでもいいと(いう気持ちで前へ)いける人と失うものが大きい人の差もあった」
朝倉は、その鬼気迫る“圧”と想定以上のスピードに乗ったYA-MANのパンチに圧倒されていた。反撃といえば左のハイキックを一度繰り出したくらいだった。命をかけて挑む人とその地位を守る人の差がコントラストを描いた。
リングの上は残酷だ。
YA-MANは、朝倉が失ったものを「いままで積み上げてきた朝倉未来ブランドがYA-MANに負けた。ブランドがなくなってしまうんじゃないかと思う」と語り、「自分が得たものはそんなにない」と謙遜してみせた。
事前に練った作戦もはまった。
「右にフックを合わせる癖がある。外からフックを触ると右フックを返してくるので、その右フックをガードしながら右ストレートを打つという作戦がどんぴしゃにはまった。事前にそういった情報があったこともでかかった」
YA-MANは、これまで朝倉が練習拠点とするJAPAN TOPTEAMの道場に定期的に通っており、何度もスパーをしていた経験から、その“癖”を盗みとっていた。
YA-MANは左右のフックを振り回して、左構えの朝倉が前の手でフックのカウンターを狙ってくるタイミングを狙っていた。勝敗を決定づけた一発目のダウンも、右から左のフックで“餌”を巻き、打ち合いに出てきて、ガードが空いたところにお見舞いした右のストレートだった。
2年前の大晦日の「RIZIN.33」で皇治の相手に抜擢され、大方の予想を裏切って判定勝利を収め、昨年6月の「THE MATCH」では、芦澤竜誠を1ラウンドで倒して、那須川天心―武尊のアンダーカードを最も盛り上げ、今年5月にはMMAでホープの三浦孝太をパウンドで沈めた。YA-MANの実力は、少しづつ認められていたが、ついに注目度で格闘界の“頂点”に君臨していた朝倉をも倒した。
「自分の人生の中で一番思い出に残る1勝。プロになる前から第一線のメインで活躍した選手に、2、3年後に、同じリングで勝つ。これ以上ない1勝ですね」