「ヤンキースはもて遊ばれてメッツは利用された」山本争奪戦でドジャースに敗れたメッツとヤンキースが大ショック…メッツはド軍と同じ12年463億円、ヤ軍は10年427億円を提示も
オリックスからポスティング申請した山本由伸(25)がドジャースと12年3億2500万ドル(約463億円)で契約合意に達したと見られるが、メッツが同年同額、ヤンキースが10年3億ドル(約427億円)のオファーをしていたことが明らかになった。わざわざ来日して山本と面談、直前には自宅に招き、ディナー交渉をしていたメッツの大物オーナーであるスティーブ・コーエン氏(67)はニューヨークポスト紙に「全力で戦った。先に進むしかない」と敗戦の弁。また地元のオンラインメディアは「ヤンキースがもて遊ばれてメッツは利用された」と辛辣な見解を伝え、NYの2チームの“敗退”を悔しがった。
メッツオーナー「全力で戦った」
山本がドジャース入りを決断した衝撃は、最後の最後まで争奪戦を繰り広げていたニューヨークの2チームに広がった。
メッツは大富豪オーナーで知られるコーエン氏がウインターミーティングの前にわざわざ来日して山本の家族を交えてディナーを共にし、さらに直前の今月17日にコネチカット州の自宅に招き、2度目の“ディナー交渉”。しかも、ドジャースと同条件となる12年3億2500万ドル(約463億円)を一番最初にオファーしていたというから、振られたショックは大きい。
カリブ諸島でバカンス中だったコーエン氏は、22日の朝に。ニューヨークポスト紙の取材に対して、こうメッセージを伝えた。
「組織のすべてが最大限のトライを示したと思う。誰かが勝ち、誰かが敗れるということだ。我々の努力については良い感触があり、全力で戦った。先に進むしかない」
同紙によると、「メッツの山本へのオファーは金額と年数でドジャースと同じものだった。コーエン氏は、交渉の内容詳細について明かすことを拒んだが、球団の情報筋は『メッツのオファーが、山本側が最初に受け取ったもの(最高額)だったが、チームは、そこから金額を引き揚げる機会を得ることが一度もなかった』と語った」という。
ドジャースとメッツのオファー条件は同じだったがマネーゲームには、発展しなかったというのである。ただ、その情報筋は同紙に「メッツはポスティング費用と合わせて3億7500万ドル(約534億円)となる金額をさらに上げることはなかったかもしれない」とも語っており、たとえマネーゲームになっても、メッツが山本を獲得できる可能性は低かったようだ。
一部では、「山本が昔からドジャースのファンで憧れていたと友人に語った」との報道もあった。それ受けてコーエン氏は、冗談交じりに「今後は、メッツファンの選手を日本で徹底的に調べるだろう」とも語っていたという。
千賀滉大が、防御率2.89、今季12勝7敗の活躍を見せただけにコーエン氏の山本獲得にかける期待は大きかったのだろう。
ニューヨークのオンラインメディアのNj.comは、「山本のドジャース(入団)戦略によって、ヤンキースがもて遊ばれ、メッツが利用される」と辛辣なタイトルを取り、メッツの敗退を報じた。
「コーエン氏は、山本に3億2500万ドル(約463億円)を提示し、当初ドジャースの条件を上回っていた。この投手は、先週にコネチカット州のコーエン氏の自宅で夕食を取り(メッツに)興味があるそぶりを示した。しかし最終的に山本はドジャースとの金額を上げるためにメッツを利用しただけだった」
厳しい見解でメッツの敗退を悔しがった。
またニューヨーク局の「SNY」が伝えたところによると「山本サイドは5年目と8年目を終えた後にオプトアウト(契約破棄)を求めており、もし山本が健康で力を発揮した場合に5年契約の部分が、メッツにとって受け入れることが極めて疑わしくさせるものだった。山本がドジャースと12年3億2500万ドル(約463億円)の契約を結んだ結果が示すようにメッツは彼と契約する優位なポジションに決していなかった」という。
ケン・ローゼンタール記者の報道によると、ドジャースとは、6年後、8年後の2つのオプトアウト(契約破棄)条項を契約に盛り込んだようだ。
山本獲得に失敗したメッツが横浜DeNAからポスティング申請した今永昇太にターゲットを変える可能性は指摘されていたが、ニューヨークポスト紙によると、メッツのプランBは、ブレイク・スネルやジョーダン・モンゴメリーなどのビッグネームを狙うものではないという。