なぜ神戸の大迫勇也は33歳になっても「半端なかった」のか…MVPと得点王をダブル受賞
2021シーズンはわずか4ゴールに、昨シーズンも7ゴールにとどまった。何よりも万全な状態でピッチに立てない。臀部や太ももの裏に抱えた慢性的な痛みが原因で、欠場や後半途中からの出場が続いた昨シーズンは、神戸も夏場過ぎまで最下位をさまよった。
「僕自身、日本に戻ってきてからチームとしてなかなか結果を出せなかったし、ずっと悔しい思いもしてきた。なので、本当に反骨心というか、今シーズンこそは絶対に、という強い気持ちを常に抱きながら練習から臨んできました」
昨シーズンまでとの違いをこう明かした大迫だが、実際に出場試合数やゴール数の飛躍的な増加を伴ったのはなぜなのか。答えを探していくと、昨年11月2日に行き着く。カタールW杯に臨む森保ジャパンから漏れた大迫は、落選から一夜明けた同日に日本サッカー協会から打診された、バックアップメンバー入りに断りを入れている。
ブラジル、ロシアに続く3大会連続でW杯に出場する可能性を、自らの意思で断ち切った。実際にDF中山雄太(26、ハダースフィールド)がアキレス腱の怪我で代表を辞退すると、大迫の代わりにバックアップメンバー入りしたFW町野修斗(24、当時・湘南ベルマーレ、現ホルシュタイン・キール)が中山の代わりに代表入りを果たした。
それでも悔いはない。当時の大迫はこんな言葉を残している。
「バックアップメンバーに入って、誰かの怪我を祈るなんてしたくないじゃないですか。選ばれた選手が戦うべきだし、僕はテレビの前で見る側として応援したい」
当初の26人に名を連ねなかった時点で、カタールW杯への未練を断ち切った。J1リーグの最終節だった昨年11月5日をもって完全オフに入り、クラブと代表でのプレーを間断なく続けてきた代償として、満身創痍状態だった体のオーバーホールに入った。
森保ジャパン入りしなかった国内組は、今年2月中旬のシーズン開幕まで、約3カ月あまりのオフがあった。体を作り直すのには十分な時間だったと大迫は言う。
「すごくいいコンディションで、シーズンに入れたのが一番大きかったと思っています。本当にそこだけだと思います。オフシーズンがすごく長かったのでしっかりと走り込んで、なおかつ出力をしっかり出せるような体作りを目指しました。そのためにトレーナーさんにつきっきりでやってもらいましたし、シーズン中も週に1、2回はトレーナーさんについてもらっていました。体の部分に関しては本当に細かく、さらにしっかりトレーニングをしながらつけ合わせる、という作業を続けられた1年間だったのかなと思っています」
個人トレーナーとの二人三脚で開幕前につかんだ、怪我を遠ざける大きな手応えをシーズン中にも持ち込んだ。第二次森保ジャパンに縁遠くなった状況も、大迫を神戸のプレーだけに集中させた。結果として34試合中で先発が32度を数え、神戸のフィールドプレイヤーでは3番目に長い2829分というプレー時間を生み出した。
ピッチに立つ時間が長ければ、必然的にゴールを生み出せるチャンスも増える。さらに、昨シーズンから引き続き指揮を執る吉田孝行監督(46)のもと、神戸の戦い方の軸がMFアンドレス・イニエスタ(39、現エミレーツ・クラブ)から大迫へ、バルセロナ化からハイプレス&ハイインテンシティーへ完全に移行した変化も奏功した。