【阪神“アレ”の感動回顧】“あの時”岡田監督は本当に泣いていたのか…知られざるオリックスとの日本シリーズ秘話
岡田監督はドラマ性を大切にする。実は、第6戦、第7戦に岡田監督は8月13日のヤクルト戦で左手尺骨を骨折して戦線を離脱していた梅野をベンチに入れていた。結局、梅野の出番はなかったが、その意図を改めて聞いた。
「代走で使うつもりやった。走れるんやろ?スパイク準備しとけと声をかけていたんよ。糸原が出たら代走梅野よ」
第7戦の8回に代打の糸原が出塁していれば代走梅野が告げられていたという。京セラドームは果たしてどんなムードになっていたのだろう。
確かに梅野の足は遅くはない。第6戦ではスペシャリストの島田を外してまで梅野を入れていたが、そこまでの速さはない。岡田監督は日本シリーズを「1年の集大成」と位置づけていた。
「梅野がいたから木浪の8番という構想ができたんよ」
「恐怖の8番」の木浪が生まれた誕生秘話を明かしたことがあった。
梅野の打撃力があったからこそ木浪を8番に置けたのである。岡田監督は、離脱するまで72試合にマスクをかぶり、優勝に貢献してきた梅野に集大成となる日本シリーズの舞台を踏ませてやりたかったのである。岡田監督の采配にはリーグ3連覇を果たしたオリックスを凌駕した勝負勘に加え、人間臭い“情”がある。
第7戦。岡田監督は青柳を先発起用した。昨年の“投手2冠王”は不振のシーズンを送っていた。岡田監督の信頼度は決して高くなかったが、「3月31日の京セラドームで青柳から始まって、最後はまた京セラドームで青柳で終わるんでええんちゃうか」との思いがあった。
第6戦はエース村上がドジャースに入団した山本との投げ合いに敗れたが、岡田監督は、「第7戦に村上を温存して先に青柳をいく考えもあったけどな」と言う。
だが、定石通りに第6戦で日本一を決めにいった。開幕戦で打ち込んだ山本にリベンジを許して第7戦にもつれこむことになり、岡田監督は、試合前に監督室に、青柳を呼び、「思い切り楽しんだらええよ」と伝え、プレッシャーから解放した。
青柳は5回途中までオリックス打線を無失点に抑えた。
青柳は左打者に弱いというデータがあったが、日替わり打線でリーグ制覇をした中島監督は、7番までの並びを第6戦と変えず、8、9番に左打者の野口と福田を並べた。
「あれも助かったわな」と岡田監督が振り返る。
島本を挟み、6回から3イニングを伊藤将に任せた。これも日本シリーズ用のスペシャル起用だった。そして7-1で迎えた9回に岡田監督は、桐敷を先にマウンドに送った。無死一塁から森を併殺打に抑えたところでストッパーの岩崎を投入した。もし併殺でなければ、桐敷、湯浅、岩崎の一人一殺のリレーで日本一を決めるつもりでいたのではないか、という話も漏れ伝わってきた。岡田監督は「それはなかった。桐敷で2人、最後が岩崎よ」と明かした。
18年ぶりのアレを果たし、38年ぶりのアレのアレを果たした岡田阪神は、来季、また虎の歴史を変える連覇に挑むことになる。
岡田監督は、この正月、日本を離れて海外で過ごす。先を読む指揮官の戦いは、もう始まっているのかもしれない。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)