「井上尚弥よりも先に引退するので最多勝記録は彼が抜く。こだわりはない」なぜ井岡一翔は大晦日にKO勝利を有言実行できたのか…語り尽くした究極技術論と2024年の戦い
ペレスは「右目がぼやけて見えない」と悲しい顔をしてインタビュースペースにやってきた。両目は大きく腫れ、右目は塞がりかけていた。
「グレートな試合だった。右のパンチを強く感じた。的確に打ってくる右が凄かった。ボディにもたくさんパンチをもらったが、他のパンチは効かなかった。ディフェンスもなんとも思わなかったし、私のパンチも届いていた。だが、私よりもパワーがあった」
完敗を認めた。
「今回はKOで決めたい」
佐々木修平トレーナーが、井岡から、そう打ち明けられたのは、計110ラウンドのスパーリングが、佳境に入っている頃だったという。
「井岡は考えと体の動きが一致するパーフェクトなボクシングを求めている。それができつつあるという手応えがつかめたのではないか。KO決着を裏付けるような練習が積めていた」
それが井岡の追い求めてきた「進化と成長」なのだろう。
「ボクシングは思っている以上にまだまだいろんな面で深いものがある。考えすぎたら体が動かない。でも頭で考えたことで体をコントロールできるようになった」
試合後に技術論を語る井岡は、とても饒舌で生き生きしていた。
ギリギリまで交渉を続けたファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)戦がファイトマネーで折り合いがつかずに流れた。目標を見失い失望した。一時は、大晦日の戦いをキャンセルして家族でゆっくりクリスマスを過ごすことさえ頭をよぎった。だが、彼は戦う理由が何かを自分に問うた。
「井岡一翔の使命を果たしたい。それが何かはわからない。戦い続けること。チャンピオンとして踏み出さないと何も始まらないし、成長はない。歩みを止めたくなかった」
自らがKO率90%のぺレスを挑戦者に選び、通算12度目となる日本ボクシング界の風物詩とも言える大晦日のリングに上がることを決意した。
だからモチベーションという言葉を使うことを嫌った。
「そこに左右されると意味がない。(当時のIBF王者)アンカハス(との統一戦)は新型コロナで流れ、エストラーダもできなくなった。スムーズいくことが一番だけど、そればかりじゃない。僕が試合をして何かを感じてくれる人、楽しみにしてもらえる人がいるのなら、試合ができることを噛みしめながらかみしめながら試合をしようと思った」
井岡はボクシングを人生に重ねたのかもしれない。