アマボク界“元ドン”山根明氏が死去…“奈良判定”に反社会勢力との交際歴…異色の元会長が残した功績は何だったのか?
だが、実際は、村田氏が挑んだ決勝では、急遽、山根会長の息子で会長代行を務めていた昌守氏がセコンドにつく“情実人事”があって村田のメンタルに動揺を与えるなどのマイナスの動きしかなく、何ひとつ役に立っていなかった。金メダルを獲得後に村田氏は、母校の恩師である故・武元先生への感謝の言葉を口にしたが、「武元の名前を出すな。山根会長のおかげだと言え」と屈辱的な強要をしてきた。村田氏が本当に山根氏に感謝しているのならば、彼の性格からして、言われなくとも、そう口にしていただろう。
山根氏はAIBAの理事を務めていたことから“世界へ顔がきく”と吹聴していた。だが、清水が2回戦でマゴメド・アブドゥルハミドフ(アゼルバイジャン)から6度のダウンを奪いながら判定負けにされた際には、抗議には申請料が必要なこともあり、山根氏は何ひとつ動かず、清水が「自分が料金を払うので抗議して下さい」と連盟に懇願してことで、ようやく抗議。結果、AIBAが判定を覆すことになった。もし清水が訴えなければ、そのまま泣き寝入りすることになっていたのだ。
また山根氏は、当時の日本プロボクシング協会会長の大橋秀行氏と握手をしてプロアマの雪解けムードを作った。プロアマのスパーリングが解禁され、赤井英和氏にアマチュア資格の復帰が許され、近大の指導者になった。だが、その後、村田氏のプロ入りの際に猛反対し、プロ側が連盟に強化費という名目での移籍料を払わねばならないというルールを決め押し付けるなど再びプロアマの関係は険悪となった。
女子ボクシングに力を入れ、お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんこと山崎静代の五輪出場をバックアップした。東京五輪では、女子フェザー級で入江聖奈が金メダル、同フライ級で並木月海が銅メダルを獲得し、山根氏は「オレが女子ボクシング界に種を蒔いたからや」と周囲に話していたそうだが、有名人好きの山根氏が、個人的にしずちゃんをバックアップしていただけで、女子ボクシング界、そのものの底上げに何かの手を打っていたわけではなかった。
今なお連盟では、怪文書が乱れ飛び内田会長や男女ヘッドコーチの本博国氏の辞任を求める文書などが全国の連盟に送られたりしている。山根氏の“負の遺産”は完全に消えたわけではない。ただガバナンスの整備も含めて、日本ボクシング連盟が進むべき道を“反面教師”として示してくれたことが山根氏の一番の功績なのかもしれない。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)