「今日に限っては兄の尚弥を超えたと言っていいですかね?」なぜ井上拓真は“最強挑戦者”に9回KO勝利できたのか…覚醒の理由
同じボクサーである拓真を上から目線で評価するようなコメントはしたくない、と、弟への最大級のリスペクトを込めて一度はメディアの前に出ることを拒んだ。だが、拓真の苦悩を一番近くて見てきた兄としての率直な感想を求められ、弟への愛情があふれた。
「減量苦から解放されたアンカハスがどれだけのパワーを備えるのか。不安なところもあったが、それにも対応できた。素晴らしい試合だった。強気、強気のボクシングだった」
入場時には「拓真が持ってくれと言ったので」と尚弥が、まるで横綱の太刀持ち、露払いのごとく、WBAのベルトを掲げて入場し、試合中もコーナーの下から声を飛ばして懸命にサポートした。
「拓真のボクシングにプラスして少し攻撃が必要なところをやってきたと思う。ラウンド途中から攻撃を強めにしてディフェンスもしようと(声をかけた)。ディフェンス一辺倒なら(アンカハスも)乗りに乗っちゃう。攻撃することが防御になる。攻撃が最大の防御となる。今日はそういう試合」
拓真は偉大なる兄に「近づくこと」をモチベーションにしていた。
「それはあくまでも自分と比べられるから、そういうことを言う。赤の他人なら比べられることはない。拓真の心境が複雑?それはない。拓真はメンタルが強い。メンタルが弱かったら、やってられないでしょう。拓真には拓真の色のボクシングがある。そこにプラスいい形が出た。ひと皮剥けてまた変わってくれるといい」
大橋会長は「今日は兄貴を超えた」と最大級の言葉で称えた。
「アンカハスはパンチもあるし強振もする。怖い選手だった。それを向こうに回してボディで倒した。大きな壁をぶち破って新しい井上拓真が誕生した」
「自然と涙が出た」という真吾トレーナーも「いい面と課題が出たが、意識が変わった」と手放しだった。
次戦は、WBAの指名試合として同級1位の石田匠(井岡)を迎え撃つ。舞台は5月6日に東京ドームで予定されている尚弥対“悪童”ルイス・ネリ(メキシコ)のビッグマッチでの兄弟世界戦だ。2か月しか間隔がなく、この試合で深刻なダメージを負った場合は、実現が難しかったが最高の形で熱望していた東京ドーム決戦へつなげた。大橋会長も「怪我もないので井上尚弥と一緒に試合に出る」と言う。
覚醒した拓真が兄弟ダブル防衛をダブルKOで成し遂げるかもしれない。そしてV2に成功すれば、次に2023年度の年間最高試合(世界戦以外)を獲得した前日本バンタム級王者でWBAの4位にランクされている堤聖也(角海老宝石)が有力な対戦候補としてリストアップされている。
激闘を演じた対戦相手の穴口一輝選手が亡くなるという悲しい出来事があったが、堤は気持ちの整理を終え「あの試合は誇りに思っている。すべてを覚悟した上で今後とも自分のスタイルのボクシングを皆さんに見せていきたい。世界は必ず取ります」との決意を口にしていた。
激戦必至の話題のカードになるだろう。そして拓真の掲げている最終目標は、兄がやってのけた4団体統一である。
残る3つのベルトのうちのひとつWBC世界同級王座を中谷潤人(M.T)が衝撃の6回TKO勝利で「ドネアに勝った男」から奪い取った。
「4団体統一の目標を掲げる以上、一度も負けられない。その中で勝ち続けることが自信にもつながる。一歩一歩勝ち続けていきたい。お互いが勝ち続ければ、いつか(中谷と)当たるだろう。その日が来るまで負けずに勝ち続けたい」
拓真vs中谷の統一戦は避けては通れない戦いである。近い将来実現する可能性のある日本人対決は、注目のメガファイトになることは間違いない。
最後に拓真に聞いた。
「会長は尚弥を越えたと言った。自分自身では?」
「今日に限っては超えたと言っていいですかね」
少しはにかみながら笑った。最高にドラマチックなKO勝利を果たしたチャンピオンは誇らしげに胸を張った。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)