なぜ巨人の戸郷は“ひょい投げ投法”で甲子園でのノーノーを達成できたのか…SNSでは及川の投ゴロのエラー判定を巡り論争起きる
巨人の戸郷翔征(24)が24日、甲子園球場の阪神戦で史上89人目(101回目)のノーヒットノーランを達成した。エラーと判定された微妙な2つの内野ゴロにSNSやネットは大騒ぎになったが、文句のつけようのない123球の投球だった。両リーグを通じては昨年9月9日のロッテ戦でオリックスの山本由伸(現ドジャース)以来、巨人では2018年7月27日の中日戦での山口俊以来の快挙。巨人の投手が甲子園でノーノーを達成したのは1936年の沢村栄治以来、88年ぶり2度目の偉業だ。また阪神が許したノーノーは2019年9月14日の中日の大野雄大以来、5年ぶりの屈辱となった。
6回終了時点で記録を意識
甲子園は異様なムードに包まれていた。
1-0で迎えた9回二死二塁。スコアボードの阪神のチームヒット数を示す場所は依然「0」のまま。戸郷の大偉業達成の前に立ちはだかった最後の試練。打席の中野にヒットを許せば大記録が一転、同点劇へと変わってしまう。
カウント1-2からの123球目は「これで打たれたらしょうがないと腹をくくって」選んだ“宝刀”フォーク。外角のボールゾーンに逃げるようにして落ちる勝負球に中野のバットが空を切った。
戸郷は両手を上げて控えめなガッツポーズ。そしてグラブをポンと叩くと、緊張した表情が満面の笑みに変わり、岸田とハイタッチ。飛び込んできた長野がウォーターシャワーを浴びせた。
「やっと緊張から解き放たれたので…もう何か最高です」
場内インタビューの第一声が本音だろう。
甲子園で巨人の投手がノーノーを成し遂げたのは、あの伝説のエース、沢村栄治まで88年も遡らねばならない。それほどの“外圧”がある敵地で、目に見えない力にも打ち勝ったのである。
記録は6回終了時点で意識したという。
「6回が終わった時点であと(アウトが)9個と思いながらやってましたし、8回を抑えて本当にできるのかなと」
ベンチでは誰一人としてノーノーの話題を口に出さなかった。毎イニング確認のために話しかけてくる杉内投手コーチも7回から寄りつかなくなった。杉内も2012年5月30日の楽天戦でノーノーの経験があり、戸郷の心理を配慮しての行動だったのだろうが、そのいつもと違う様子に戸郷は「よりいっそう緊張した」という。
ノーノー達成は、高校時代も含めて人生初。記念のボールは両親にプレゼントしたいという。
「チームとしても、あまり良い結果がここ最近出てなかったので、交流戦前の最後の3連戦の初戦をなんとか取りたいなという気持ちで入りました」
広島に3タテを許して中日にも1分1敗。入団初の開幕投手を任された戸郷は、エースの責任感を持ち、高校時代から大好きだったという甲子園のマウンドに立った。
なぜ戸郷はノーヒットノーランを果たせたのか。
現場にいた評論家の1人は「阪神の打線の低迷と、そこにつけこんだ戸郷のメンタル、そしてボールのキレと素晴らしい変化球のコントロールがうまく合わさった」と分析した。
チーム打率がリーグ最低の.224と低迷している阪神打線に対する戸郷のメンタルを象徴するデータが、打者29人中、20人に投じた初球のストライクにあるという。
「怖さがないから大胆にストライクが取れる。そこから追い込んでフォークとスライダー。しかもフォークは右打者のインコースにシュート気味に落とすものと、ストンと落とすものを握りを変え投げ分けていた。そこに同じ腕の振りで曲げるスライダーがコントロールできていた。今の阪神打線では、手も足も出ないのも当然だった」
ストライク率は58.5%で、123球中、フォークが44球、スライダーが30球を占めた。