「日本サッカーのためにこの道を進もうという考え方をしているわけではない」引退した長谷部誠は日本代表監督を目指さないのか?
フランス代表のキャプテンとして1998年のフランスW杯を、指揮官として2018年のロシアW杯を制し、いまも同代表を率いるディディエ・デシャン監督のように、世界を見わたせばキャプテン経験者が母国代表の指揮を執るケースが少なくない。
フランスではミシェル・プラティニがその先駆け的な存在であり、ドイツ代表ではフランツ・ベッケンバウアー(故人)がキャプテンと監督でW杯を制覇。イタリアでは元守護神のディノ・ゾフが1998年に代表監督に就任し、日本に馴染みの深い選手ではドラガン・ストイコビッチがユーゴスラビア代表でキャプテンを務め、現在はユーゴスラビアを構成していた共和国のひとつ、セルビア代表を率いている。
南米勢でもブラジルでドゥンガが、アルゼンチンではディエゴ・マラドーナ(故人)が母国代表チーム監督を務めている。全員が歴史に名を刻んだレジェンドたちであり、同じ図式が5人もの日本代表監督からキャプテンを託され、左腕に腕章を巻いて出場した試合が日本代表で歴代最多の「81」を数える長谷部にも求められている。
しかし、長谷部は日本代表監督に対して次のように言及した。
「大前提として、日本サッカーのためにこの道を進もう、という考え方をしているわけではないので。ヨーロッパのような高いレベルのなかで、指導者として経験を積み重ねていった先に、日本サッカー界に何かを還元できればいいかな、と思っています」
ロシアW杯をもって代表から引退したが、その後に発足した森保ジャパンをドイツの地から注視してきた。カタールW杯が目前に迫っていた2022年9月には、ドイツに遠征してきた森保ジャパンに3日間帯同して濃密な経験も伝えた。
カタールW杯ではドイツ、スペイン両代表を撃破する大旋風を巻き起こしながら、日本は決勝トーナメント1回戦でクロアチア代表にPK戦で屈した。2002年の日韓共催大会、長谷部がキャプテンを務めた2010年南アと2018年ロシア大会に続いて、悲願のベスト8進出を逃した。歴史を塗り替えるための方策を長谷部はこう語る。
「ベスト8から先へ行く方が、いままでのフェーズよりもっと大変で難しい領域に入ってくる。選手たちも成長しているけど、さらに経験値を上げていかなければいけないし、それは指導者もそうだし、メディアのみなさん、そして日本のファン・サポーターのみなさんを含めた全員のレベルアップが必要になる。自分もその一部になれればと思っている」
森保ジャパンに招集される選手の大半を、ヨーロッパ組が占めるようになって久しい。一方で指導者はどうなのか。ヨーロッパへ活躍の舞台を求めているのか。答えはノーなる。特にヨーロッパの5大リーグに所属するクラブで、監督を務めた日本人はいまだに一人もいない。長谷部が今後もドイツに拠点を置く理由がここにある。
もちろん監督への近道はない。まずはA級を取得するために約2年間の指導実績が求められ、さらにS級を取得するにはA級との合計で5年から6年はかかるという。17年目を迎えたドイツでの生活で堪能になっているドイツ語も、長谷部によれば指導者としては実戦レベルではないという。長谷部が続ける。
「自分のなかでは、最短どうこうというのはあまり意識していない。プロの現役選手と指導者はまったく違うものだと思っているし、長くプロサッカー選手だった人間が、いい指導者になるとも限らない。だからこそ自分はまず指導者のキャリアをしっかり積んで、多くのものを学んでいきたい。その意味でも休暇で、いままでの長いキャリアをいったんすべて落ち着かせて、体だけでなく頭も休ませてからまた新しいスタートを切りたい」
前述した母国の代表監督を務めた元キャプテンたちのキャリアを振り返れば、指導者経験がゼロのまま一度目の監督に就いたドゥンガ、そして長いブランクがあったマラドーナを除けば、クラブチームでしっかりと指揮を執っている。
そもそも、代表監督は望んで務められるものではない。指導者としての力を地道に蓄え、しっかりと実績を積んだ先で双方が進んでいく道が交わったときに、初めて可能性が生まれる。そのときに自信をもって快諾できるように。まずは愛してやらない家族と一緒に過ごす時間を増やしながら、長谷部はセカンドキャリアの青写真を書き記していく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)