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  • 「正直それまでそんな話はしなかった」引退会見で岡崎慎司が明かした“Wシンジ”の絆…ドイツ6部バサラ・マインツ監督就任の異例同時発表も
岡崎慎司が都内で引退会見を開き、同時にドイツ6部バサラ・マインツの監督就任も発表された
岡崎慎司が都内で引退会見を開き、同時にドイツ6部バサラ・マインツの監督就任も発表された

「正直それまでそんな話はしなかった」引退会見で岡崎慎司が明かした“Wシンジ”の絆…ドイツ6部バサラ・マインツ監督就任の異例同時発表も

 クラブや代表で記録と記憶に残るゴールを数多く決めてきた岡崎も、頂点に立ったシーズンの第30節、2016年3月14日のニューカッスル・ユナイテッド戦で決めた、華麗なオーバーヘッドキックからのゴールを「すごく印象に残っている」と語る。
 もっとも、イギリスを含めた世界中のメディアから称賛された当時の状況が、岡崎に芸術的なゴールを選択させたわけではなかった。
「プレミアリーグに移籍してレスターにフィットする上で、自分のハードワークやチームの潤滑油になる動きを真っ先に認められてしまったがゆえに、45分や60分で代えられる試合もめちゃくちゃ多かったシーズンでした。その悔しさは自分しか知らなかったというか、周りはおそらくそれをわかっていなかった。じゃあ、何をもって自分を証明するのかといえば、やはりゴールしかなかったので」
 泥臭く、衰えも知らない運動量で優勝の影のMVPと評価された岡崎は、一方で先発しながらもプレミアリーグ最多記録に並ぶ25試合で途中交代を告げられていた。プロになって初めて経験する優勝はもちろんうれしかったが、一人のストライカーとしては忸怩たる思いを募らせていたと、引退会見の場であらためて明かした。
「ストライカーとしてゴールを取りたい、という思いとはまた別に、周囲を見返したいというか、監督や他の選手たちが『岡崎はこういう選手だ』と思っていた枠を越えたいと思っていた。自分の人生はそういう反骨精神のもとで、特に海外ではそうして生き残ってきた。そういったものを象徴するゴールのひとつだといまでも思っています」
 7人の歴代監督から招集された日本代表では計119試合に出場して、釜本邦茂、三浦知良に続く歴代3位の通算50ゴールをあげた。
 最後に代表でプレーしたのは2019年6月。東京五輪世代を中心とした若い陣容で臨んだ南米選手権へ、柴崎岳らとともに参加した。翌年10月のオランダ遠征にも招集されたが、怪我で無念の辞退を強いられた。代表と無縁となったその後の日々を、岡崎は「現役生活のなかで一番苦しかった」と振り返る。
「あらためて日本代表でプレーするやりがいというものを感じていたし、W杯に出るチャンスがもう一度あると思って、当時はスペインの2部に行って、ここからのし上がっていこうと思っていた時期だった」
 レスター・シティから、ラ・リーガ2部のウエスカへ戦いの場を移したのが2019-20シーズン。同じシーズンには代表で何度も共闘してきた盟友、MF香川真司(35、現セレッソ大阪)も同リーグのサラゴサへ移籍してきた。
 ともに代表から遠ざかっていた時期。その後にシントトロイデンでチームメイトになる香川と、頻繁に連絡を取り合っていたと岡崎は会見で明かした。両チームの本拠地は非常に近く、岡崎はウエスカではなくサラゴサに住んでいた。

 

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